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まっこまる

治療終了のメンバー

まっこまる

治療終了のメンバー

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【運営】非営利NPO法人5years
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【生まれた年】1981年

【都道府県】神奈川県

【職業】介護職

【自己紹介】

卵巣がんを2019年10月に言われました。
チョコレート嚢胞が大きくなり、悪性化したとのこと。
高プロラクチン血症あり

病気発覚まで、、、高校時代から、おりものが茶色、生理が不安定。22才生理量が少なく、クリニック相談に。「高プロラクチン血症」診断される。
この時の経験が、婦人科内診キライに繋がる→今は当時よりも配慮されて、内診以外にもMRIがあるが。
20代後半生理が来なくなる(代わりに月1でおりもの茶)
33才~高プロラクチン血症治すため、漢方薬を選ぶ。(レディースクリニックより、ホルモン剤を飲みましょうと言われたが、ホルモン剤への拒否感強かったため)

35才過ぎてから、体のサインがあったような気がします。(なんか、私の体、変?死ぬの❔みたいな感覚です。実は幼少時代より、体を人一倍気にするとても神経質な性格でした。高校時代は、少しうつ気味だったと思います)
仕事は、アルバイトで講師していた。夜型が辛くなる。不眠症になる。(子宮頸がん検診は2年に一度受診していた)
37才~子宮頸がん検診→不正出血ありと⭕️したのだが、先生「膣が小さいから、子宮体がん検査は、苦痛伴うから止めておきましょう」との判断に言われるがままでした。父方の祖母が、子宮体がんを38くらいでしていることを言おか迷いました。(言わず)
○37才派遣会社の健診では、A判定
○ 38才夏 生理が14日続きました。初めてのことで、また経血がいつまでもダラダラ続き、止まる気配がなかった。さすがにおかしいと思い、休日でもやっている病院に飛び込みました。
内診で「あ~あ~、卵巣が腫れているよ」と言われて血液検査の腫瘍マーカーがとても高かった。MRI撮り、CT撮り、「手術して開けて術中検査しないと判明しないけど、限りなく黒に近い」とのこと。MRIの画像は、語弊があるかもしれませんが、原爆後に撮られたキノコ雲みたいに、モクモクしていて、あまりのショックに声を失いました。(2019年10月頭)
3週間の間に卵巣両方と子宮摘出するか、病巣である右卵巣のみ取るか決断迫られる。(派遣で働いていたが仕事は手に付かない。同棲中の婚約者は「残して欲しい、子ども諦めるなら別れるかも。境界悪性」と言う。職場の私を取り巻く人の態度が一変する。あからさまに簡単な仕事振る→仕方ないか…、離れていく。ニヤニヤされる。)
決断する日まで答え出せず、病巣のみ摘出にしました。
胃カメラ・大腸検査受ける。
手術日が決まる。
2019年11月28日右卵巣、大網、傍大動脈リンパ48個、盲腸摘出(朝1の8時半から15時、16時くらいまで8時間)
2020年2月~6月まで6回化学治療(TC療法)
2022年3月子宮内ポリープ摘出手術→細胞診→卵巣悪性腫瘍と同じTYPEの悪性細胞見つかる。
2022年4月14日子宮と残っていた卵巣摘出手術後(3~4時間くらい)癒着がひどく(1度開腹手術している人は癒着ある)ドクター「大変な手術でした。丁寧にやりました」とのこと。
2022年4月末~9月まで化学治療(TC療法)

※卵巣、子宮摘出は本当に抵抗がありました。決断しろと言われて1ヶ月経っても決められなかった。
※化学治療…怖いイメージしかなく抵抗ありました。手術2週間後から始めるところ2ヶ月後から始めました。その間代替療法も考えました。このサイトで化学治療を明るく乗り超えた方々の声に、受けてみようと思えました。

今も悪夢みたりちょっとした不調が怖いですが、生きています。仕事しています。たまに、否、頻繁に幸せを感じています。☆。゜☆゜。。。

【ご登録時の状況】

治療中 手術しました。類内膜線がん1c。

2019年11月卵巣右摘出、たいもう、リンパ節64こを摘出。(左卵巣、子宮温存)
2020年6月点滴6回終了しました。


2022、 2、22現在 子宮のポリープにがん細胞見つかり、やはり、全摘出しかないのかな?と今考え中です。
結婚した彼と子供が欲しかった。子供大好きな彼のために、彼の子供産みたかった。

【思うこと、考えること】

苦しいです。
22の時に、高プロラクチンと言われてから、婦人科を避けてきました。なぜならば、検査は当時の私には嫌な体験として残ってしまったためです。
避けてきたことが、38歳にして、こんなことに繋がるとは。

苦しくて悲しいです。継続して検診を受けていればの一言につきます。

気分がなかなか前に向きません。

本当に、健康には気を付けてきたつもりで、怖くてたまりません。
2020年 8月現在 経過観察を続けて、仕事を見付けたいです。(見付けました)

子宮頸がん検診は、市からクーポン券が配られます。子宮体がん、卵巣がんは、ありません。
子宮頸がん検診は、女性が婦人科に行くきっかけにもなります。そこで、生理の不安や、心配なことをドクターに相談してほしいと思います。
ドクターも、子宮頸がん検診に来た女性には、できるだけ、その他の病気も説明してあげて、検診を受けるように勧めてほしいです。
婦人科の病気について、余りにも私は無知でした。
また、納得行くまで、自分に合う病院を探す努力もしませんでした。

この病気以外も、乗り物恐怖症がありましたが、薬を飲みたくなくて、漢方薬や、自己啓発セミナーや、カウンセリングを受けていました。

✳️ドクターの言うことは、きちんと聞くべし
その後2022年子宮体がんを言われました。治療しています。
✳️がんって響き悪いですよね。「かんかん」って私は呼んでいます。「かんかん」は私に何を伝えにきたのだろうか('_'?)
できることはやって、天命は神様にお委せと最近は思っています。人の寿命は分からない。
※生理が始まった時から少しして肛門からも生理中血が出ていました。子宮内膜症がこの頃からあったのでは?卵巣がんが分かって初めて自分が子宮内膜症とチョコレート嚢胞持ちなことを知りました。
※ここで叫んでも仕方ないかもしれませんが、生理始まってからは行きつけレディースクリニックを作って、こう言う生理が大体正常であること、子どもができる準備が整っているんだと言うこと、35歳過ぎれば子どもを作る能力も落ちてくるんだと一人ひとり教えてあげて欲しい。子どもを作らなければ、ずっと女性ホルモン出続けて、乳がん子宮体がん、卵巣がんのリスク高まることも。
また子宮体がん、子宮頸がん、卵巣がん検診の前に行う問診票での「性交渉の有無」を問う欄もどうにか出来ないものか。「婦人科検診」と言う名称自体、ボカして言っていて分かりにくい。
※子どものころから、自分には男の子が産まれると思っていました。適齢期に彼氏居なかったから仕方ないけれど、38歳で「高齢出産で男の子産まれるかも」なんてウキウキして「高齢出産なら尚更お母さんも周りも嫉妬せずに応援せざるを得ないよね」なんて漢方薬(婦人宝)飲んで、計画練っていた私は冷や水を浴びせかけられたようでした。誰しも思うような人生生きれているわけではない。でも中学くらいから女性として謳歌できる時代に、何故か常に何かに遠慮してお母さんの目に怯えて、自分でもいまだにわからないけども、私を好きだと言ってくれる男性に「どうやったら彼の心をこのまま繋ぎ止められるだろうか」しか考えられない「つまらないお付き合い」しか出来なかった。(おまけに公然と二股かけられている)多分人付き合い自体、いつも自分をないがしろにしていたんだろうな。結局交際も友人関係の延長なんですね。高圧的な人や精神的不安定な人の期待に沿えるキャラクターを必死で演じて、そういったキャラクター以外(と思われる)の私は削ぐ、感情を殺す、こんなことばっかりしていました。根底にあったのは、私って生きていてもいいのかな、お姉ちゃんを超してはいけない、お父さんやお母さんの思う「私」以外の私にはなってはいけないと言う思いだったように思う。
子連れのお母さん(私には女性を謳歌しているように見える)を見ると、うらやましくて、そんな自分が情けなくて、自分にはこう言う輝く瞬間は来なかったなって。若い頃から何やってるんだろうって思っちゃいます。でもそれ表面しか見えてないんですよね。側にいる人、生きて来れた力、大事な祖父母、父をたまに思いながら、生きて行きます。

【その他】

[血液型] a

[星座] 双子座

[趣味・特技] 音楽

[既婚/未婚] 既婚

[長所] 周りに気を使う、繊細

[好きな動物] 犬

[好きな食べ物] なんでも

[好きなスポーツ] ウォーキング

[好きな色] 青

[好きな季節] 5月

[好きな音楽ジャンル] 音楽はすべて大好き

[好きなブランド] みんなが持っていない靴や洋服バッグ

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卵巣がん



卵巣がん


治療を受けた病院

昭和大学病院

【関連のエピソード】
県立がんセンターか昭和大学病院かで迷い、あの時の心境で、「がん」という言葉を受け入れられず、昭和大学に。 スタッフさんが皆さんお若いです。若い看護士さんたちと上手く関われなかった。(あまりかかっているので、悪くは言いたくありませんし、他の病院を知らないので、他は分かりませんが) 産科が隣のスペースにあったので、赤ちゃんの声がとても響いた。私は自然療法をして、煮出したびわ茶洗面器の中にお尻を入れて(ばかでした)火傷したため、それの処置も余計にさせて しまったからか、若い看護師さんたちに、お尻に塗り薬処置したくないと裏で(ばっちり聞こえている)何人かに言われた。 手術前に、手術室のベッドでお尻に負担かけないクッションを入れて頂いた。ベテラン看護師さんがとても親切にしてくださった。 若い看護師さんの中には、一対1で今対応していて(そうした対応はしていないのに)、あなたと同じ症状を私も持っているから、何でも相談して ~とわざとらしく言う方。お風呂の壁に私を押し付けて、部屋担当のナースの名前さえ覚えていないの❔と怒りを爆発させる方。手術後、聴診器をかけた二人のナースが、お腹の音を聞かせてくださいって言いに来て、処置室で聞いてもらったら、「⭕️さん、大丈夫だったみたい」とナース二人でにやにやしている方々。回診中に、若い男性ドクターたちが、お腹の傷見せてくださいと来て、私の主治医が、私はまだ若いから、止めてくれたり。 →若い看護師さん、ドクターからの、失礼な態度を感じた。実験台みたいな感じを受けた。 また、最初にかかった主治医から、手術の執刀医が変わる(馴れ合いを防ぐため)のは、唐突感が否めない。 入院した病棟と、腫瘍センターの雰囲気が全く違う。入院した病棟は看護師さんたちの人間関係がすごくありそう。それが、患者さんにも影響する感じがしました。 手術前に、精神科を受ける流れがありますが、精神科を受ける意味合いを説明してもらえない。私の個人的なことを話しましたが、聞いているだけでしたし、おそらく、その話しは、他のスタッフの方々にも流れている感じがしました。→目的を話して欲しい。精神科で話される内容は、ふつうは、外に漏れません。外に話している感じを受けました。やはり、とても失礼に私は感じました。 2年後の現在~主治医のドクターは5人目ですが、以前より、スタッフの皆さまとても親切です。 最初は、あまりのショックで気が動転し、失礼な態度を私もとっていたと思います。 温存した子宮にポリープが見付かり、検査結果、元々の卵巣悪性腫瘍と同じ型の悪性細胞見付かる。→温存した子宮、卵巣(左)摘出(3時間半くらいの手術・癒着がひどく大変な手術だったそうです) →化学治療勧められ、2022年7月8日現在3回目終了 TC療法6回予定


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