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卵巣がんを2019年10月に言われました。
チョコレート嚢胞が大きくなり、悪性化したとのこと。
高プロラクチン血症あり
病気発覚まで、、、高校時代から、おりものが茶色、生理が不安定。22才生理量が少なく、クリニック相談に。「高プロラクチン血症」診断される。
この時の経験が、婦人科内診キライに繋がる→今は当時よりも配慮されて、内診以外にもMRIがあるが。
20代後半生理が来なくなる(代わりに月1でおりもの茶)
33才~高プロラクチン血症治すため、漢方薬を選ぶ。(レディースクリニックより、ホルモン剤を飲みましょうと言われたが、ホルモン剤への拒否感強かったため)
35才過ぎてから、体のサインがあったような気がします。(なんか、私の体、変?死ぬの❔みたいな感覚です。実は幼少時代より、体を人一倍気にするとても神経質な性格でした。高校時代は、少しうつ気味だったと思います)
仕事は、アルバイトで講師していた。夜型が辛くなる。不眠症になる。(子宮頸がん検診は2年に一度受診していた)
37才~子宮頸がん検診→不正出血ありと⭕️したのだが、先生「膣が小さいから、子宮体がん検査は、苦痛伴うから止めておきましょう」との判断に言われるがままでした。父方の祖母が、子宮体がんを38くらいでしていることを言おか迷いました。(言わず)
○37才派遣会社の健診では、A判定
○ 38才夏 生理が14日続きました。初めてのことで、また経血がいつまでもダラダラ続き、止まる気配がなかった。さすがにおかしいと思い、休日でもやっている病院に飛び込みました。
内診で「あ~あ~、卵巣が腫れているよ」と言われて血液検査の腫瘍マーカーがとても高かった。MRI撮り、CT撮り、「手術して開けて術中検査しないと判明しないけど、限りなく黒に近い」とのこと。MRIの画像は、語弊があるかもしれませんが、原爆後に撮られたキノコ雲みたいに、モクモクしていて、あまりのショックに声を失いました。(2019年10月頭)
3週間の間に卵巣両方と子宮摘出するか、病巣である右卵巣のみ取るか決断迫られる。(派遣で働いていたが仕事は手に付かない。同棲中の婚約者は「残して欲しい、子ども諦めるなら別れるかも。境界悪性」と言う。職場の私を取り巻く人の態度が一変する。あからさまに簡単な仕事振る→仕方ないか…、離れていく。ニヤニヤされる。)
決断する日まで答え出せず、病巣のみ摘出にしました。
胃カメラ・大腸検査受ける。
手術日が決まる。
2019年11月28日右卵巣、大網、傍大動脈リンパ48個、盲腸摘出(朝1の8時半から15時、16時くらいまで8時間)
2020年2月~6月まで6回化学治療(TC療法)
2022年3月子宮内ポリープ摘出手術→細胞診→卵巣悪性腫瘍と同じTYPEの悪性細胞見つかる。
2022年4月14日子宮と残っていた卵巣摘出手術後(3~4時間くらい)癒着がひどく(1度開腹手術している人は癒着ある)ドクター「大変な手術でした。丁寧にやりました」とのこと。
2022年4月末~9月まで化学治療(TC療法)
※卵巣、子宮摘出は本当に抵抗がありました。決断しろと言われて1ヶ月経っても決められなかった。
※化学治療…怖いイメージしかなく抵抗ありました。手術2週間後から始めるところ2ヶ月後から始めました。その間代替療法も考えました。このサイトで化学治療を明るく乗り超えた方々の声に、受けてみようと思えました。
今も悪夢みたりちょっとした不調が怖いですが、生きています。仕事しています。たまに、否、頻繁に幸せを感じています。☆。゜☆゜。。。
治療中 手術しました。類内膜線がん1c。
2019年11月卵巣右摘出、たいもう、リンパ節64こを摘出。(左卵巣、子宮温存)
2020年6月点滴6回終了しました。
2022、 2、22現在 子宮のポリープにがん細胞見つかり、やはり、全摘出しかないのかな?と今考え中です。
結婚した彼と子供が欲しかった。子供大好きな彼のために、彼の子供産みたかった。
苦しいです。
22の時に、高プロラクチンと言われてから、婦人科を避けてきました。なぜならば、検査は当時の私には嫌な体験として残ってしまったためです。
避けてきたことが、38歳にして、こんなことに繋がるとは。
苦しくて悲しいです。継続して検診を受けていればの一言につきます。
気分がなかなか前に向きません。
本当に、健康には気を付けてきたつもりで、怖くてたまりません。
2020年 8月現在 経過観察を続けて、仕事を見付けたいです。(見付けました)
子宮頸がん検診は、市からクーポン券が配られます。子宮体がん、卵巣がんは、ありません。
子宮頸がん検診は、女性が婦人科に行くきっかけにもなります。そこで、生理の不安や、心配なことをドクターに相談してほしいと思います。
ドクターも、子宮頸がん検診に来た女性には、できるだけ、その他の病気も説明してあげて、検診を受けるように勧めてほしいです。
婦人科の病気について、余りにも私は無知でした。
また、納得行くまで、自分に合う病院を探す努力もしませんでした。
この病気以外も、乗り物恐怖症がありましたが、薬を飲みたくなくて、漢方薬や、自己啓発セミナーや、カウンセリングを受けていました。
✳️ドクターの言うことは、きちんと聞くべし
その後2022年子宮体がんを言われました。治療しています。
✳️がんって響き悪いですよね。「かんかん」って私は呼んでいます。「かんかん」は私に何を伝えにきたのだろうか('_'?)
できることはやって、天命は神様にお委せと最近は思っています。人の寿命は分からない。
※生理が始まった時から少しして肛門からも生理中血が出ていました。子宮内膜症がこの頃からあったのでは?卵巣がんが分かって初めて自分が子宮内膜症とチョコレート嚢胞持ちなことを知りました。
※ここで叫んでも仕方ないかもしれませんが、生理始まってからは行きつけレディースクリニックを作って、こう言う生理が大体正常であること、子どもができる準備が整っているんだと言うこと、35歳過ぎれば子どもを作る能力も落ちてくるんだと一人ひとり教えてあげて欲しい。子どもを作らなければ、ずっと女性ホルモン出続けて、乳がん子宮体がん、卵巣がんのリスク高まることも。
また子宮体がん、子宮頸がん、卵巣がん検診の前に行う問診票での「性交渉の有無」を問う欄もどうにか出来ないものか。「婦人科検診」と言う名称自体、ボカして言っていて分かりにくい。
※子どものころから、自分には男の子が産まれると思っていました。適齢期に彼氏居なかったから仕方ないけれど、38歳で「高齢出産で男の子産まれるかも」なんてウキウキして「高齢出産なら尚更お母さんも周りも嫉妬せずに応援せざるを得ないよね」なんて漢方薬(婦人宝)飲んで、計画練っていた私は冷や水を浴びせかけられたようでした。誰しも思うような人生生きれているわけではない。でも中学くらいから女性として謳歌できる時代に、何故か常に何かに遠慮してお母さんの目に怯えて、自分でもいまだにわからないけども、私を好きだと言ってくれる男性に「どうやったら彼の心をこのまま繋ぎ止められるだろうか」しか考えられない「つまらないお付き合い」しか出来なかった。(おまけに公然と二股かけられている)多分人付き合い自体、いつも自分をないがしろにしていたんだろうな。結局交際も友人関係の延長なんですね。高圧的な人や精神的不安定な人の期待に沿えるキャラクターを必死で演じて、そういったキャラクター以外(と思われる)の私は削ぐ、感情を殺す、こんなことばっかりしていました。根底にあったのは、私って生きていてもいいのかな、お姉ちゃんを超してはいけない、お父さんやお母さんの思う「私」以外の私にはなってはいけないと言う思いだったように思う。
子連れのお母さん(私には女性を謳歌しているように見える)を見ると、うらやましくて、そんな自分が情けなくて、自分にはこう言う輝く瞬間は来なかったなって。若い頃から何やってるんだろうって思っちゃいます。でもそれ表面しか見えてないんですよね。側にいる人、生きて来れた力、大事な祖父母、父をたまに思いながら、生きて行きます。
[血液型] a
[星座] 双子座
[趣味・特技] 音楽
[既婚/未婚] 既婚
[長所] 周りに気を使う、繊細
[好きな動物] 犬
[好きな食べ物] なんでも
[好きなスポーツ] ウォーキング
[好きな色] 青
[好きな季節] 5月
[好きな音楽ジャンル] 音楽はすべて大好き
[好きなブランド] みんなが持っていない靴や洋服バッグ
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