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りかこ

治療終了のメンバー

りかこ

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【運営】非営利NPO法人5years
    がんコミュニティサイト(無料)

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  • プロフィール情報
  • 近況ブログ
  • 受けた治療

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【誕生日】04月13日生まれ

【都道府県】北海道

【自己紹介】

 30代のとき、視触診だけで“乳腺線維腺腫(良性腫瘍)”と診断される。「治療もないのでそのままにしておいていい」という医師の言葉通り、4年8か月放置。3倍の大きさになったため切除したところ乳がんだとわかる。
 治療は、手術(扇状部分切除(4分の1強切除)+腋窩リンパ節郭清)・放射線治療(23回照射)・ホルモン療法(LH-RHアゴニスト製剤(2年間)・抗エストロゲン剤(クエン酸タモキシフェン)内服(5年間)併用)。ホルモン療法ではかなり重い副作用に悩まされるも、「絶対乗り切ってやる!!」と続行。今のところ再発なし。ただ、進行が遅く放射線治療も化学療法も効果がないと言われている珍しいがん細胞(明細胞がん(クリアセル))のため、まだ油断はできない。※しこりが3つあり、ほかのしこりは非浸潤性乳管がん・・・と、ちょっと複雑。
 〇2011年4月 ブログ『りかこの乳がん体験記』開設
 〇2011年8月、しこり発見からがん告知、そして手術、治療中の2年間の苦悩を綴った乳がん体験記『4分の3の乳房(ちぶさ)』自費出版。
 〇2009年5月より、ファシリテーター的な立場として院内『がんサロン』参加。
         『がんサロン通信』では体験記やエッセイなどの執筆も継続中。
 〇2016年9月、フジテレビ『めざましテレビ ~がんの見落とし~』で電話インタビューを受け放送される。
 〇2020年3月、一般社団法人全国がん患者団体連合会『がん教育外部講師講座』終了。
        がん教育外部講師として北海道教育委員会に登録。
 〇2021年10月、北海道、市、健康づくり財団、対がん協会の4社共催による『がん予防功労者表彰』を受ける。
 〇2023年5月 北海道がん患者連絡会主催『がん教育講師派遣養成研修会』終了
 〇その他、ラジオ出演、講演、ピンクリボン活動なども地道に続けている。
  むかし取得した『調理師免許』を生かし、“食と健康”を考えている。
ちなみに、母は甲状腺がん(他界)。

【その他】
 ○強度HSP
 ○2023年7月18日(奇しくも母の命日)
   先天性の臼蓋形成不全判明
   すでに変形性股関節症発症(両股関節)
   軽度の歩行障害あり
   良くなることはなく、進行していくだけの病気

【ご登録時の状況】

治療中からずっと体調が良くない。
時々、腋窩リンパ節郭清の痕が疼く。
放射線治療の影響か、皮膚にずっと痒みがある。

【思うこと、考えること】

がんは孤独な病だと思う。家族にも理解してもらえないことも多く、友人に言ってもわかってもらえない・逆に過度に心配されるなど、孤立してしまう人が少なくないと思います。
同じ経験、同じ思いを抱いている人の言葉はなにより力になります。
私も自分が経験したことを、今、悩んでいる人たちに伝えられれば・・・。そして寄り添っていけたら・・・と思っています。
また私自身が、頑張っている人たちと触れ合うことで元気ももらいたいです。

【その他】

[血液型] A型

[ブログ] https://rikako-breast-cancer.blog.jp/https://rick-bowling.blog.jp/

【運営】非営利NPO法人5years
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乳がん

この病気のエピソード
 「(病理)検査の結果が出たので、なるべく早く聞きに来てください」と、外科的生検を受けたクリニックの看護師長さんらしき人から電話があった。翌日クリニックへ着くと、私よりあとから来た患者さんが次々と呼ばれ診察を終えて帰ってゆく。  「なんで私、こんなに待っているのに呼ばれないの?」と、怪訝に思った。しばらくして診察室に呼ばれ、「乳がん」と告知される。  「良性(乳腺線維腺腫)だからそのままにしていいよ」と視触診だけで診断され、約5年放置していたしこり。「あんた“良性”って言ったよね? “そのままにしていい”って言ったよね?」と、医師を責めたい気持ちだった。でも責めたところで“がん”という現実は変えられない。過去に戻ることもできない。泣きたくはなかったけれど、自分の意思に反して涙がどんどん流れてきた。  大きな病院へ紹介状を書いてもらうのを待っている間、私は待合室で涙が止まらなかった。周囲の患者さんには、私に何か悪いことがあったのは一目瞭然だったと思う。  少し待ったあと、看護師長さんが私の名前を呼びながら私の方へやったきた。私も席を立った。そして、「これをあちらの病院の先生に渡して」と一通の封筒を渡された。私は泣き通し。そして手紙(紹介状)――。私はまさに衆人環視の的だった。  こんなときは、配慮がほしいと思った。せめてどこか死角になる場所で渡してくれたら・・・。


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