この病気のエピソード
多発性脳梗塞で脳神経外科医院に入院後、総合病院に転院を勧められた。循環器内科で心臓弁に15ミリ大のウイルスもしくは血栓の塊がくっついるので、人工心臓弁にしなければいつ死ぬか分からないと言われたが、更に検査が続き、産婦人科での検査も勧められた。
結果、ようやくトルソー症候群を伴う卵巣がんと診断され、主治医が産婦人科医に変わった。原発は卵巣と子宮の両方とされた。
連日の検査でストレスがあったのか総合病院に転院後、3度目の脳梗塞が起き、若干の身体麻痺が認められたが、夜間だったこともありMRI検査が行われただけで脳神経外科医師の診療はなかった。
2022年11月開腹手術。摘出されたのは子宮、右卵巣、右卵管、左卵巣、左卵管、切除可能な限りの腹膜。
病理組織診断報告書 より
臨床診断: 進行卵巣癌 卵巣癌は超手拳大に腫大表面より出血あり、腹膜に一部癒着あり用手的に剥離、腹膜に腫瘤あり別に摘出している(腫瘍疑い)
摘出手術中にこれまでにない4度目の大きな脳梗塞が起きた。麻酔から目覚めたときには右半身麻痺、加えて視覚野にも障害が起きていた。その後遺症は避けられなかったので、これはしょうがないことと受け入れることにして、でも、奇跡を起こそうとリハビリ奮闘中。抗がん剤治療中でもあり、結構しんどいけど生きていることを実感している。何もできずただ生きているだけの状態から、どこまで余命を楽しめるようになるかが今の課題。
心臓弁にくっついてた塊は後に血栓だったと判断されたが、退院直前の心エコー検査でようやく小さくなっていることが分かり、心臓手術ではなく癌摘出手術を選択して良かったと思った。
患者さんとの関係
本人
病歴・治療歴
2004年11月:アメーバ赤痢(関係ないけど)
2022年09月:多発性脳梗塞(脳神経外科に入院し、2週間の治療)
2022年10月:再検査で2度目の多発性脳梗塞と診断され、再度入院し、翌々日に総合病院に転院。循環器内科医師が主治医となって各種検査を受けた
2022年11月:主治医が産婦人科医師に変わり、トルソー症候群を伴う卵巣がんと診断された。左右卵巣及び子宮摘出手術
2022年12月:急性期病院から地域包括ケア病院に転院後、コロナ感染したが、その治療も可能なリハビリ専門病院に再度転院し、隔離エリアでのコロナ治療と、脳梗塞のリハビリを受けた
2023年01月:リハビリ病院を退院し、自宅で自主リハビリを始めた
2023年02月:TC療法(6クール)開始
2023年05月:胸にCVポート埋め込み手術を受けた
2023年07月:TC療法(6クール)終了
2023年08月:月一の血液検査・経過観察始まる
2023年11月:術後1年の検査で問題なく、血液検査は3ヶ月に一度となる
2024年05月:術後1年半の検査(血液、造影CT、内診エコー)を受けて、問題なし
2024年05月:リハビリ専門病院の運転外来で、高次脳機能障害と認知症、自動車運転にかかる検査を受け、診断結果、運転は控えてと言われた
2024年06月:心電図、心エコー検査で問題なし
2024年08月:3ヶ月毎の定期検査(血液検査、腹部エコー、細胞診)の結果、異常なし、腫瘍マーカー上昇なし
【関連のエピソード】
長年、開発途上国で調査や案件実施管理の仕事に従事していることから、こと健康には気をつけているつもりだったけれど、コロナ禍でリモートワークが増えたことや定期的に通院して高血圧と高コレステロール値を下げる薬を飲んでいて総合的な健康診断を受けていなかったことから体調管理が疎かになってしまってた。今考えると、途上国への出張や赴任の際に入国に必要な各種の予防接種を何度も受けていて身体はボロボロになっていたよう。家系的には癌体質というより循環器疾患の可能性が高いと思い込んでいたことも発病に気づかなかった原因のひとつ。2022年3月の海外出張の直前にひどい腹痛があったのに、病院に行かずにそのまま出張に行ってしまって、1ヶ月後の帰国時にはそのことをすっかり忘れてしまってた。すぐに病院に行っていればトルソー症候群にはならなかったかもしれない。でもこういう病気になったのは仕事柄、必然だったのかもと思う。起きてしまったことはもう受け入れるしかない。
リハビリ・復帰歴
2022年11月:歩行・衣服脱着訓練等の理学療法、言語障害・視覚障害等の検査、・右手麻痺回復の訓練等作業療法
2022年12月:歩行訓練・体操等の理学療法、視覚障害・失認等の検査、右手麻痺回復の訓練等作業療法
2023年01月:歩行訓練・体操等の理学療法、視覚障害・失認等の検査、右手麻痺回復の訓練等作業療法
【関連のエピソード】
脳梗塞のリハビリは発生後2週間が回復効果が高いと言われているが、この頃は歩行訓練を重点的に行われた。おかげで右半身の麻痺と痺れは最小限にとどめられたように思う。福岡徳州会病院では理学療法と作業療法に加え、言語聴覚士も加わって3人体制でリハビリを行なってくれた。
転院先では作業療法士が産休に入っていたため、最初の1週間、放置されたた。リハビリを早く再開したく専門病院に転院することにしたが、その転院待ちの間に1時間/日で3日間だけ来てくれた理学療法士さんからコロナ感染し、転院できるかどうかハラハラした。受け入れてもらえたのでほっとしたが、転院後に本格的なリハビリが始まったのはコロナ治療後だった。それでも理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の3人体制で、かなり効果があったと思う。
けれども、高次脳機能障害の検査を担当した言語聴覚士から若干、失認の状態にあると言われ回復の希望を断たれたように感じた。別の言語聴覚士がリハビリ訓練の担当だったので、その言語聴覚士に担当を戻してもらった。そんな事があったせいか、あるいはリハビリとがん治療のどちらを優先するかと問われてがん治療を優先したいと答えたせいか、6ヶ月間と言われる発生後の回復期をずっとそこでリハビリをを受けるつもりだったけれども、退院して自宅でのリハビリを勧められた。
退院後にわかった事は、確かに家事が少しは出来るようになったけれども、抗がん剤治療を始めたせいで副作用の痺れやふらつきがあり、また杖なしには歩けない状態に戻ってしまった。
がんの治療をしなければまた脳梗塞になる可能性があるためがん治療を優先したが、日常生活の中での自主リハビリには限界がある。そのため、通所リハビリ施設でのリハビリを検討中。
仕事復帰は開腹手術後すぐに諦めたけれども、まだ退職の話は上司からはされていない。
治療を受けた病院
福岡徳州会病院と桜十字福岡病院
【関連のエピソード】
癌摘出手術は丁寧で良かったけれど、手術中に脳梗塞を起こしていたらしく、麻酔から目覚めたら右半身が完全に麻痺してしまっていた。MRIを撮って確認したようだけど、特に脳神経外科医の治療は施されず、血をさらさらにする薬の投与だけだったと思う。とにかく、脳神経外科医の関与が無かったことが残念。
加えて、2023年2月から開始したTC療法6クールのうち3クールが終わった時点でCVポートの留置術を受けることを勧められ、産婦人科の主治医ではなく外科の医師から手術をうけたけど、脳梗塞で麻痺している右半身の手術だったせいか、手術中に右足ふくらはぎに不随意運動がおき、身体がのけぞってしまった。30分で終わる手術と言われいたが、1時間半以上かかっていたらしく、けれども術後に執刀医からの説明が何もなく家族が憤慨していた。
がん摘出手術後の回復期に転院先でコロナ感染したため再転院先の桜十字福岡病院で治療を受けた。主治医は総合内科医だったので、コロナ治療は問題無かったが、脳梗塞と卵巣がんの治療経験も専門知識もなく、結局、約ひと月で退院する事となった。リハビリは専門スタッフが多く、担当チームは皆感じの良い人たちだった。趣味のスカッシュ再開を目指してラケットを振る訓練や帰宅後の庭木の手入れを想定して脚立に登る訓練や古新聞を紐でくくるる練習や料理をする時間も訓練に入れてくれる等、個人的な要望を最大限聞き入れてくれた。歩行訓練で外出し福岡市内の中心部で人混みの中を歩き回る等、工夫があった。
食事は病院食と思えないほどメニューが凝っていて、とても美味しかった。浴室も個浴室があり、自分で身体を洗う訓練にもなって良かった。ただし、高次脳機能障害の検査を担当したスタッフは、改善のための訓練を取り入れるようなアドバイスをする事も無く、精神的に患者を追い詰める様な発言の連発でかなり凹んだ。すべてを諦める前に退院出来たので、逆に良かった。