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n_arai

家族のメンバー

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【自己紹介】

妻が大腸癌になりました。かねてより肝硬変を患っており、抗癌剤も外科手術も適用外のため、標準治療は何も受けず緩和ケアのみです。

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大腸がん


患者さんとの関係

配偶者


病歴・治療歴

2001年08月:当時29歳の妻が夜中に吐血し、A病院の夜間救急でアルコール性肝硬変の診断。食道静脈瘤、高アンモニア血症、黄疸が顕著。以降2005年3月頃まで入退院の繰り返し。胆管炎や急性腎盂腎炎等も併発するが、対症療法以外にできることなし。一時は余命1年との説明を受ける。肝性脳症と長期入院によるストレスで精神的にバランスを崩し、退院時も介護が必要な状態に。

2005年03月:社宅の入居期限が切れたため、せめて最後くらいはもう少し広い家で過ごさせてやろうと思い、現在の住まいに引越し。引越しの前日まで入院していた。引っ越しに伴い、病院もB病院に変更。ここから不思議と改善に向かい、入院することももなく、定期通院の経過観察と投薬による対症療法で数年過ごす。

2006年03月:肝硬変が治癒することはないものの、この頃から体調と精神が安定し出し、普通に生活できるようになる。以降しばらく平穏な日々。

2017年03月:ごく初期の乳癌がみつかり、切除手術と放射線治療を受ける。以降半年ごとに経過観察の通院、経過は良好。

2021年07月:高熱を発して発熱外来を受診。抗原検査でコロナは陰性。この時採血、結果は後日。

2021年10月:肝硬変の定期通院。7月の採血結果で、腫瘍マーカーのAFPが高値であることが分かり、肝硬変が肝臓癌へ移行した疑い。CT、エコー検査等受けるがはっきりしたことは分からず、B病院では治療設備がないこともあり、C病院への紹介状をもらう。

2022年01月:C病院の内科で諸々再検査。肝臓に腫瘍らしきものが何個か見えるがハッキリせず、肝臓はあまり専門ではないとのことで、肝臓の専門医がいるD病院を紹介してもらう。

2022年02月:肝臓の専門医受診。再検査し、おそらく肝臓癌で間違いないだろうとの診断。複数のうち、ひとまず最も大きい腫瘍について治療方針を検討するが、肝硬変の影響で内臓が全体的に弱っており抗癌剤は適用外、食道静脈瘤があるため外科手術も難しく、選択肢はラジオ波による焼灼治療や、サイバーナイフ等に限られるとのこと。C病院にサイバーナイフ設備があったため、これを選択。

2022年04月:サイバーナイフ治療で数回の通院、無事終了。AFPも正常値まで下がる。しかし何度か下血があり、一抹の不安。

2022年06月:治療結果の確認と他の肝臓腫瘍について治療検討のためC病院でCT検査したところ、大腸の壁の一部が厚くなっているとのことで、大腸カメラを受けることに。

2022年07月:大腸カメラの結果、S字結腸に大きな腫瘍が見つかる。生検の結果も癌で確定、リンパの腫れもあり、すでにステージⅢかⅣとの診断。前述の通り抗癌剤適用外、外科手術も不能、標準治療としてはC病院でできることはないとのこと。

2022年08月:肺への転移が認められ、ステージⅣ確定。今のところ特に症状はないが、半年から一年くらいで死亡する例が多いことを告げられる。治療適用の判断をする他の病院もあるかもしれないと言われるが、妻本人が抗癌剤も外科手術も望んでおらず、治療の検討は中止。E病院の緩和ケア科の紹介を受ける。

2022年09月:大腸癌の深刻な状況から、その後再発が認められない乳癌の経過観察はここで終了。

2022年10月:目立った症状はなかったが、この頃から便意が頻繁に起こるようになる。

2022年11月:E病院の緩和ケア外来初診。今後の話と、今のうちに介護保険の認定を受けておくことを勧められる。

2022年12月:生活は普通に送れており、介護が必要な状況では全くなかったが、介護保険の要支援1に認定される。

2023年01月:C病院で経過観察受診。腸閉塞になった場合はこの病院でステント施術を受けることになるため、緩和ケアのE病院と交互に通院することになる。下腹部の痛みを徐々に訴えるようになるが、この頃は市販のバファリンがよく効いた。

2023年03月:C病院で検査の結果、痛みについて腹膜播種はなさそうだが、一応カロナールを処方してもらう。しかしカロナールはなぜか効かず。E病院の緩和ケア科でオキノーム2.5mg処方してもらうが、慣れていないのか痛みのコントロールに難儀する。

2023年04月:痛みで集中できず、便意も頻繁になり、趣味のゲームができなくなる。

2023年05月:外出が少し難しくなってくる。緩和ケア科でオキノーム2.5mmに加え、オキシコンチン5mg処方、これも慣れていないからか大きく体調を崩し、痛み止めの模索で何度か通院を繰り返す。

2023年06月:フェンタニルクエン酸塩テープ5mg、オキノーム散5mgでようやく痛みのコントロールが安定する。

2023年07月:痛み止めは変わらず続行中だが、たまに強い痛みで体調を崩すことあり。食事の量が減っているのも気になる。オキノームで強い眠気が出る影響か、意識が朦朧としたり、多少の不安事が増幅して軽くパニック状態になることがあるような印象。

2023年08月:連日の猛暑の影響もあるが、外出があまりできなくなってきた。

2023年09月:精神的に低調な日が多くなった。9月後半は痛みでパニック状態になることが増え、付き添い・介助が必要な状態に。

2023年10月:痛みが薬では抑えられなくなり、11日夜に救急車搬送で緩和ケア病棟に入院。腸閉塞より先に腸穿孔が起こってしまったらしい。ここから日に日に心の調子が落ちていき、電話をかけたりチャットをしたりなど、日常的に行なっていたことのやり方が徐々に分からなくなっていく。

2023年10月:16日朝8時50分、永眠。最期は痛みもなく亡くなったとのこと。

【関連のエピソード】
最後に入院した緩和ケア病棟は面会の制限が緩く、面会時間いっぱいに毎日通ったのですが、15日(日)は病院が電気設備点検で停電となったため、面会禁止でした。最後に聞いた声は、スマホ口からの「痛い、痛い」でした。その後は発信も受信もやり方がわからなくなってしまったようで、私からの発信に返事は返ってきませんでした。それでもなんとか私と連絡を取ろうとしていたのか、朦朧としながらもその日はずっとスマホを握っていたそうです。夕刻には薬がきいて静かに眠り、緊急事態に陥るような様子ではなかったとのことです。 翌日16日(月)の朝に状態が急変し、そのまま妻は逝ってしまいました。最期は自宅で看取りたかったはずが、最後の1日を傍にいてあげられなかっただけでなく、急いで駆けつけましたが死に目にたった5分間に合いませんでした。 きちんとお別れできなかった事、何よりも独りで逝かせてしまった事が心残りで、感情の整理にしばらくかかりそうです。


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