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コトー★

治療終了のメンバー

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【運営】非営利NPO法人5years
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【生まれた年】1965年

【都道府県】北海道

【職業】無職

【自己紹介】

2012年(平成24年)7月に上顎洞がん(T4a⇒記憶が曖昧ですがT3ではなかったと思います)と診断されました。
体の不調を覚えたのは、震災復興の仕事で石巻市へ長期出張中の時でした。右頬が腫れているような違和感があり病院で検査すると腫瘍ができていて恐らく悪性であろうと診断されました。自宅が札幌市だったため北大病院への紹介状を頂いてフェリーで北海道へ帰りました。
北大病院で生検を実施し上顎洞がんが確定。当時の北大病院は、超選択的動注療法を盛んに研究していた経緯があり私の希望(外科手術はしたくない)とも合致したため、先述の治療法と放射線療法を併用した治療を行いました。
現在は、10年経過したことから寛解となり定期的な検査はしていませんが、治療による副作用的な症状はあります。

【ご登録時の状況】

治療後10年以上経過のため寛解の状況。ただし治療の影響による不調で定期的に通院しています。

【思うこと、考えること】

上顎洞がんはマイナーな部類の病気だと思います。なので経験談的な情報が極めて少なかった記憶があります。入院当時、Yahooブログで記録を公開していましたが、廃止となり引越しもしなかったので残っていません。昔の経験ではありますが、参考になればいいなぁと思っています。
※経験談的なものは、病歴・治療歴に書き込みます。

【その他】

[血液型] O型

[星座] ふたご座

[趣味・特技] 株式相場観察、腕時計鑑賞、終わらない断捨離

[既婚/未婚] 未婚

[長所] おとなしい

[好きな動物] ねこ

[好きな食べ物] 六花亭、コーヒー

[好きなスポーツ] NPB、JRA

[好きな色] ブルー

[好きな季節] 春、秋

[好きな音楽ジャンル] JPOP、Beatles

[好きなブランド] ROLEX、TAG Heuer、Grand Seiko

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上顎洞がん


患者さんとの関係

本人


病歴・治療歴

2012年07月:入院、各種検査、治療準備(抜歯など)

2012年08月:超選択的動注療法(5回)、放射線療法(35回)

2012年09月:動注、放射線終了

2012年10月:退院

2018年10月:最後の定期検査(PET-CT)

【関連のエピソード】
<概要 登録時記入> 超選択的動注療法とは、太ももの付け根の動脈からカテーテルを通し、病巣に抗がん剤を直接注入しがん細胞をたたく治療です(と教わった) 抗がん剤はシスプラチンで、術中~術後は抗がん剤の中和を行うため、大量に点滴(尿として排出する)されます。腎臓の機能が弱いと中和ができないので、予定回数をこなせず別の治療が必要になる人もいるようです。 放射線療法は私の場合、合計70グレイを1回2グレイずつ照射でした。照射は平日のみでしたので、この治療だけで7週間かかります。放射線は健康な部位には悪影響があるので、仮面をオーダーメイドで作って患部以外に当たらないようにします。これもきつい治療で完走できない人がいるようです。副作用として、口内炎、味覚障害、顔が異常にほてる等々が出たと記憶しています。たしか痛み止めに医療用麻薬(オキシコンチン等)を処方されたと思います。 幸いなことに、両方の治療を完走できた かつ 非常に効果があったため退院することが出来ました。 <治療法の選択肢と副作用 2024.1.23追記> 上顎洞がんの診断が確定して医師との話し合いで治療法を決める訳だが、その選択肢は以下が示されました。 1.超選択的動注療法・放射線併用療法(当時でこの治療が開始されてから10年程度とのこと) 2.手術 3.放射線療法 4.全身的な化学療法と放射線の併用療法 5.全身的な化学療法 6.経過観察 恐らく治療効果が高い順になっているのではないかと推察します。当時の僕は、2の選択肢はありえないと考えていました。なので1を選択したのですが、副作用によって継続が困難なときは3~5の選択肢へ変更になる場合も想定されました。 副作用として言われたのは以下です。(治療中の副作用であり、長期的な副作用は未知と説明を受けた) 吐き気、聴力低下、腎障害、骨髄抑制(白血球、赤血球、血小板の減少)、脱毛、顔面神経麻痺、視力障害、神経障害、呼吸困難・浮腫、粘膜炎・皮膚炎、脳梗塞・脳虚血、造影剤アレルギー、副鼻腔炎、晩期障害(予測できていない障害) 超選択的動注療法が継続困難になるケースは腎障害、造影剤アレルギーを抑えられない場合が多いようです。 <当時の気持ち 2024.1.24追記> 顔が腫れたと思っていたら、何がなんだかわからないうちに「がん」と速攻で告知され、しかもT4a。 「これは親不孝間違いないかな」と思いました。 よくよく話を聞くと上顎洞がんは、そもそも発見されにくい(自覚症状が出にくい)ため、見つかるとT4と判定されるケースが多いとのこと。 また頭蓋骨で覆われているため転移しているケースも少ないらしい。 よって、T4でも希望があると説明された。 そうなんだと思ったけど希望があるなら尚更「手術」は嫌だった。そんな気持ちだったんだよ。 <治療準備・超選択的動注療法 2024.1.25追記> 準備として各種検査以外に虫歯の処理があります。放射線療法を行うと骨が脆く?なり普通の歯科で治療が困難になるらしい。 なので、放射線をあてる前に治療というか抜歯しちゃいます。たしか2、3本一気に抜かれた記憶があります。(がん治療が最優先なのでしょう) 動注療法は全身麻酔ではないので医師と会話しながら手術していました。何度も同じスタッフとの手術となるので看護師さんとも顔見知りになります。 術中は患者のために音楽が流れていて、最後の方はリクエストにも応じてくれました。(Shakatakをリクエストした) 苦痛なのは、術中術後に待っている終わらない点滴ですね。記録を見ると2日で8リットル入れたようです。 当然ながら尿路ステント(チューブ)装着です。これが5回繰り返しとなります。 <放射線療法 2024.1.27追記> 放射線療法は、総線量70Gy(グレイ)を1回2Gy照射で35回行いました。70Gyは生涯におけるMAXに近い線量だと思われます。仮に同じ箇所に再発したとしても放射線療法は選択できないと説明を受けました。 7週間連続した治療になりますが、概要に示したような副作用によって体力が徐々に弱ってきます。なので最初の頃は単独で歩いて放射線治療室を往復していたのに、終わりの頃は車椅子で往復だったんじゃないかな。 僕はBMIが30近くの肥満体だったので体力低下の影響は少なかった方ですが、それでもキツイ治療だと思います。 ちなみに看護師さんからは、病院食以外にも売店でも食堂でもいいので好きなだけ食べてねと優しい指導をされていました。 <副作用(主に放射線療法による) 2024.1.30追記> 放射線療法の中盤くらいから現れた副作用と対応は下記となります。 1.頭髪の抜け⇒放射線を当てた反対側の局所的なもの  対応:何もなし 2.口内炎・口の乾き  対応:アズノールでのうがい、飲み物はストロー使用、食事の代わりに高カロリーなドリンク、痛み止め(ロキソニン⇒のちにオキシコンチン) 3.顔の皮膚の炎症、火照り  対応:冷却 4.多量の目やに  対応:洗浄、目薬 5.味覚障害  対応:何もなし こんな感じだったと思います。個人的に一番つらかったのは「2」ですね。 <退院後の定期検査 2024.2.6追記> 定期検査は、PET-CTが主体になります。頻度は3ヶ月間隔から徐々に延びて後半は1年間隔の検査でした。 うろ覚えですが、3万円/回ぐらいの料金だったと思います。 退院したての時期は無職だったので負担の大きさに苦しんだ記憶があります。 <後年の副作用~失明 2024.2.6追記> 2016年位に、治療した側の眼(右眼)が見えにくい状況になり、近所の眼科受診を開始。 原因不明の状況で様子見を続けていましたが、ある日主治医の代理でバイト?に来ていた名大の若い医師から 「失明の危険性があると思われるので大きな病院へ行ったほうが良いです」と言われ、東北大の眼科を受診。(頭頸部外科から院内紹介) 病名は、放射線治療に由来する緑内障とのことで、すったもんだ治療したけど結局見えなくなりました。 名大の若先生は正直に意見してくれたので今でも感謝しています。 左眼は見えていたので、車の運転も普通にできました。 ただ遠近感が乏しくなるのは不便でしたが、慣れてくると意外と大丈夫なもんです。


リハビリ・復帰歴

2012年10月:退院

2014年01月:転職

2022年12月:退職

【関連のエピソード】
退院1年後ぐらいから転職活動(前職はブラックだったので入院したら速攻リストラされた)をし、2014年に採用された。赴任地が東北だったので、経過観察のための検査(年に1~2回のPET-CT)は東北大病院で行った。5年ぐらいで東北大の医者は、ほぼ寛解と言っていたが7年位検査を続けた記憶がある。 たしか2016年位だったと思うが、治療した右側の目が不調になり診断は緑内障、原因は放射線治療による影響との見立てだった。がんが目のキワまで浸潤していたので仮面で放射線を遮断しきれなかったのだと思われる。結局、右目は失明になりました。 また、歯茎への影響も大きく、右の上の歯は全部抜け落ちました。(下は大丈夫) QOLを重視し外科手術を回避しましたが、無傷では済まなかったようです。 2022年に定年前で自主退職しました。原因は、左目が加齢のせいもあって白内障になり仕事に大きく支障が出たためです。白内障は簡単な手術で治るのですが、100%成功するわけではなく、全盲リスクがあるため踏み切れない状況です。北大病院の見解も我慢できなくなるまで手術しないほうが良いとのことなので定期的に検査に通っている状況です。 後年、北大病院から当時の治療記録を論文に利用することの了解を求める連絡があり許可しました。後日医師へ聞いた話だと私への治療は、超選択的動注療法+放射線療法の成功事例と捉えているとのことだった。


治療を受けた病院

北大病院(耳鼻科)

【関連のエピソード】
当時の病院長は耳鼻科出身でした(治療には全く関係ないですが) 医師はチーム制を取っていたので担当が3名くらいいた記憶があります。現在も北大に残っている医師や他の病院で活躍されている医師もいらっしゃるようです。 看護師さんは皆さん優秀な方だったと記憶しています。 わりと新しい建物だったので設備は良かったですが、コスト縮減ためか高齢者のためか病室の空調(冷房)は作動していなく、窓を開けっ放しだった記憶です。 札幌でも流石に真夏の室内は暑くて大変でした。


上顎洞がん

この病気のエピソード
研究対象として適していたためか、それとも重症だったためかベッドが空いたら即入院となった。

病院に対する満足度

満足

【関連のエピソード】
自宅から30分程度で行くことができる環境のため通院の負担が少ない。また、他の診療科の担当になる体の不調が出ても院内紹介で受診できたのも良かった。 他の患者さんから聞いた話だが、北大病院への紹介状をもらうまでが大変だったと語っていた。(聞いたこともない病名・病状の人)


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