この病気のエピソード
2店目の飲食店がオープンして3ヶ月、左耳の下の腫れがどんどん大きくなり、顔の形も変わって来た頃、微熱が続いたため「大丈夫だ」と言う主人を掛かり付け医に診ていただきました。
医師は すぐに気づき、血液内科のある病院で受診するよう紹介状を持たせました。
翌日病院で受診すると『検査入院』として即入院。
数日後、私に医師から直接電話があり病院へ行くとナースステーションの奥の部屋に通されました。
「病名は『悪性リンパ腫』、かなり転移している。治療はやってみないとわからない」と言われ、「本人には告知しない方針」と言われました。
「本人は自分の事だから知りたがっているから告知して欲しい」と頼んでも医師は「告知しない」の一点張り、ここから私は重荷を背負うことになりました。
主人には笑顔で「慢性リンパ腺炎」と嘘をつきましたが、一人で負うにはあまりにも重いもので、告知された日は生まれて初めて眠れない夜を過ごしました。
ガン=死 を考えられずにはいられませんでした。
一晩考えた結果、実家が薬局で医学知識がある薬剤師の弟と、私達の長男だけには話すことに決めました。
弟は私の話を聞くと「風邪でも亡くなる人はいる。絶望と言われたのでは無いなら、とにかく治療を受けるしかないだろう。抗ガン剤の副作用を緩和するものを持って行くから それを飲ませてくれ」と言い、1本3万円の『さるのこしかけエキス』を3本持って来てくれました。
医師には内緒で これを飲ませた結果、抗ガン剤による副作用で考えられる口内炎も 吐き気もありませんでしたが、髪が抜け、味覚が無くなり病院の食事も取れなくなりましたが、本人の希望で『助六寿司』を買い届けました。
入院した4月初めから11月初旬の7ヶ月、抗ガン剤→白血球減少→白血球上げる→抗ガン剤を繰り返し、それでもガンは少しも減らないので5ヶ月後には放射線治療が始まりましたが、約1時間かけての照射は喉を焼き切り、食事どころか水も飲めない状態になり体重は入院時の10kg減、フラフラでした。
この頃、主人と同じ症状で1ヶ月先を行っていた方が亡くなり、主人は生命の危機を感じ医師の反対を押し切り無理矢理退院しました。
2週間毎の通院約束と5種類の薬を持たされて。
そこで、私は退院して来てくれた事をチャンスとばかり、健康食品や野菜スープ、インデアンの秘薬、当時効果があると言われたプロポリス等々の民間療法を試し、病院からの薬は一切やめてもらったところ、友人から『血液をきれいにする』という健康食品を紹介していただき、2週間ほど経った頃 顔色が良くなって来たので、これ以外のものはやめて様子を見ることにしました。
その結果、2週間毎の通院検査で どんどんガンが消滅し、薬も1種類ずつ減り、約6ヶ月後 ガンは全滅しました。
しかし、医師は まだ1種類の薬を出したので何の薬か主人が尋ねると「心臓の薬」と言われたとのこと。
これで私達の気持ちは決まり、転院を決めました。
他の病院で今までの経過を話し、検査した結果 悪性リンパ腫も転移ガンも全く見当たりませんでした。
しかし、再発を考えると検査は必要なので こちらで定期的に受診することにしました。
そして 5ヶ月ほど経った頃、脚の痛みを訴えたので再発を疑いましたが、腫瘍マーカー正常、炎症反応が強いとの事で整形外科を受診した結果、骨頭壊死と診断され身体障害者の認定を受けました。
その後、人工骨頭置換手術を受け、もう一方も半年後に手術となりました。
このとき 以前の病歴と治療歴が必要と言われ、カルテを取り寄せた結果、当時ももう使われていないプレドニンを大量投与された事が判明し、「恐らくプレドニンの副作用」と言われました。
手術後、立ち仕事はできないため、主人には家事をお願いし、私がダブルワークして生活を支えました。
あの健康食品はガンが消えてから約7年間続けた結果、一度も再発することなく過ごすことができました。
プレドニンの副作用であることは『医薬品機構』にて承認されました。
ところが、昨年11月の初めから食欲が落ち、痩せて来たので何回も受診を勧めたのですが、病院不信になっている主人はガンとして言うことを聞かず、息が苦しいのもガマンし衰弱して来ました。
今年の元旦の夜、なんとか説き伏せ救急で受診したところ、肺にもお腹にもかなりの水が溜まっていることが判り、即入院。
急性心不全の疑いでしたが、水を出してから詳細に検査するとの事でした。
その結果、心不全、肺気胸、甲状腺異常が見つかり、これが21年前の放射線治療の影響と言われ、セカンドオピニオンでも同じ診断でした。
6ヶ月に渡る入院中、何回と肺炎を繰り返しましたが、6月中旬退院し、本人の希望により自宅介護を基本に近くの施設へ週3回のデイサービスと週1回の訪問看護を受けて来ましたが、7月下旬から食欲が落ち衰弱した結果 8月9日本人の希望通り、自宅で安らかにこの世を去りました。
通常なら21年前に逝ってもおかしくない状態の主人が自らの意思で退院を決めた事が おまけの人生を獲得したのだと思います。
医師任せではいけないこと、信頼できる医師を選ぶこと、抗ガン剤・放射線の恐ろしさは言うまでもありません。