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のわっち

治療中のメンバー

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【運営】非営利NPO法人5years
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【生年月日】1968年10月24日

【都道府県】茨城県

【職業】介護施設職員

【自己紹介】

初めて乳がんがわかったのは40歳の時でした。子育て真っ最中でストレスもあったと思います。手術をし それから10年以上普通に生活していました。ある時 左腕に痛みが走るようになり、整形外科に1年間通いリハビリ治療をしましたが何をやっても治らず 腕に力が入らなくなり動かなくなってしまいました。総合病院に転院して その痛みが癌の全身転移であることがわかりました。
その後は抗がん剤治療が始まり 一時は余命を宣告されましたが 痛み止めがよく効き腕の痛みがなくなり、ホルモン剤もよく効いていて現在は小康状態が続いています。左腕は動かず、癌はやがてホルモン剤を克服しまた増殖し始めると言われていますが もう一度働きたいという気持ちが抑えきれずに 癌のことを告知しながら就職活動を始めました。ようやく見つかった施設でパートで働き始めています。片方の腕が使えず、癌がいつ悪化するか心配な日々ですが 好きな仕事につけていることの喜びがある毎日です。

【ご登録時の状況】

1ヶ月に一回 血液検査を行いがんの腫瘍マーカーの数値を確認して 分子標的薬を投与しています。経口薬は 毎日ホルモン剤を服用。
数ヶ月に一度MRIとCTや心臓の検査をしています。

【思うこと、考えること】

癌の再発がわかった時には 治療方法や薬について情報を集めましたが 今は 治療を続けているがあまり情報を集めようとは思っていません。
興味はありますが、そういうことに振り回されたくない気持ちもあります。それより色んな人と出会い 色んな考え方を学びたいという気持ちが勝っています。ネガティブで沈んだ気持ちで過ごす時間は「限られた時間」の中では、無駄な時間だと考えるようになったからです。
自分で自分の感情の面倒が見れるようになりたい。やりたいことを次々と初めて 自分の人生の主人公でいたい。

【その他】

[血液型] B

[星座] 蠍座

[趣味・特技] 読書、ヨガ

[既婚/未婚] 既婚

[長所] 行動力

[好きな動物] 犬

[好きな食べ物] トムヤムクン

[好きなスポーツ] バスケットボール

[好きな色] グリーン

[好きな季節] 秋

[好きな音楽ジャンル] Jポップ

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乳がん


患者さんとの関係

本人


病歴・治療歴

2011年07月:定期検診にて乳がん発見。ステージ2 浸潤癌

2011年08月:左胸部全摘手 ホルモン剤や放射線等は行わず退院

2020年01月:左腕に違和感があり整形外科を受診、治療を開始する

2020年12月:大学病院にて乳がんの再発が確認される。左腕の激しい痛みは、癌の転移であることが判明する

2021年01月:抗がん剤、分子標的薬の点滴が始まる

2021年02月:ドキセキタルの投与にアナフラキシーショックが起こり治療を断念する。分子標的薬のみの治療となる

2022年02月:腫瘍マーカーの数値が上がり 再び癌の増殖が始まる。MRIにて脳転移が発見される

2022年03月:ガンマナイフ治療にて脳のがん細胞は消滅する

2022年03月:分子標的薬に加えてホルモン剤の経口薬が追加される

2024年12月:月に一回の分子標的薬の注射と毎日のホルモン剤の服用で腫瘍マーカーは小康状態を保つ。再び上がることがあるので毎月の血液検査で普段の生活を更新している

【関連のエピソード】
2021年に ドキタキセルを投与した時の副作用は とても深刻であった。 あらゆる副作用が全て出現し 普段の生活が送れず 加えて動悸、息切れが激しく このまま 薬の投与でします死ぬかもしれないと感じた。現在でも 当時の一回だけの投与のせいで 手の痺れが治らない。すぐに整形外科を受信したが 薬の副作用による神経症は治らないと言われてそのままになっている


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