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治療終了のメンバー

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治療終了のメンバー

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【年代】50代

【都道府県】埼玉県

【職業】会社員

【自己紹介】

2006年初夏、体にいろいろ異変が起こり、様々な病院を巡り始める。
(まず髪の生え際に空豆大のこぶができる。その後原因不明の関節痛、打撲痛、それがあちこち転移する。
朝起きて全く腕が上がらなくなった時もある。
今思えば、寝汗もすごかったし、風邪の治りも悪く激しい咳がなかなか止まらない。
最後に見つかったのは、自分では気づかなかったが、首の付け根のリンパがボコボコしていて、
それをお医者さんが見つけてくれたから。)
2006年12月に急性リンパ性白血病(T細胞性リンパ芽球性リンパ腫)と診断され,即入院、治療開始。
末期で余命3か月と言われる。
間もなく、姉がドナーとして適合と判明。
抗がん剤、放射線をやり、予定より大幅に早く(抗がん剤治療1クールで寛解した為だろう)、
翌年3月に末梢血幹細胞移植(造血幹細胞移植)。
同5月に退院、自宅療養に入る。
自宅療養期間中は主夫をしていました(主夫期間は2年くらい)。
GVHDを発症したりして(肝臓、体のこわばり等、人並みに経験しています)、再入院を3回。
元いた会社に復帰予定だったが、土壇場で退職に追い込まれる
(とてもショックでそれは落ち込みましたが、まあ恨んではいません)。
その後2010年6月に社会復帰(いきなりフルタイム。半年更新の契約社員)。
年収300万にもとても及ばす苦しい生活でしたが、雇い止めになる前に転職して
やっと家族を養えるくらいの生活になりました。

【ご登録時の状況】

自己判断で2年前くらい前に完治、病人をやめました。
発病後、今が一番元気で、運動も社会人になってから一番しています。
とはいえ、健常者にはいろいろかないませんし、力がみなぎる事はありません。
何にもしていなくても、夜には疲れてしまっています。
今、体で心配なのは歯(虫歯にやたらなります)と2次ガンです(なり易いそうです)。
移植をした人間の中では、幸いにもトップクラスの予後だと思います(薬の服用もありません)。
マラソンで言うと、だいたい第2集団にいたのですが、先頭集団がどんどんいなくなってしまいました・・・
(移植後の早期社会復帰には個人的には反対です。知り合いでの成功者はNO1の人だけでした・・・)
次はいよいよ自分の番、というところまで来ましたが、幸い死神もあきらめたんだと思います。
とにかくいろいろ嫌な事が多く起こりましたが、効いてないふりをずっとしていました。

【思うこと、考えること】

なんで生き残ったのだろう???
生き残っただけの価値のある生き方をしたい(していませんが・・・それが悩み)。
そうでないと亡くなった方々に申し訳ない(たまに思います)。
いわゆる「サバイーバーズギルド」というものなのですが、
それについて話せる相手がいなかったのも悩みでした。
先日「あなたの物語」という、鉄拳が絵を描いた、5分くらいで読めるパラパラ漫画本?を読んで、
少し気持ちが軽くなりました。

何か生き残った経験を活かせないかと、いろいろとおしゃべり会などに参加してみましたが(聞く方)、
なんだかんだで白血病関連のおしゃべり会に落ち着いています。
他のがん患者の方の話はあまりわかりませんし、深刻度も違いますし、
やはり自分の経験が一番活かせるからです。

2020年、サバイバーズギルドはどこかに行ってしまいました。

【その他】

[血液型] AB型女性(元はA型)

[星座] さそり座

[趣味・特技] 映画、洋楽、格闘技観賞

[既婚/未婚] 既婚

[長所] 打たれ強い

[好きな食べ物] ラーメン

[好きなスポーツ] 合気道

[好きな色] 緑

[好きな季節] 春

[好きな音楽ジャンル] UKロック

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急性リンパ性白血病 (T細胞性リンパ芽球性リンパ腫)

この病気のエピソード
診断された時、何も選択肢はありませんでしたが、結果それで良かったと思います。余命3ヶ月で、診断後即入院治療開始でした。 とても珍しい型で、最初はまだ明確な治療方法はないとの事でした(1000万人に3人くらい)。 治療方法がみつかるまでは、毎日ハラハラして、先生がパソコンに向かっているのを見ると、 治療法を探しているのではないか、と祈るように見ていました。 結果、アメリカで事例があり、その治療法(HyperーCVAD)を採用して、うまくいきました。

病歴・治療歴

2006年06月:皮膚科、脳神経外科、整形外科、内科を巡る

2006年12月:血液内科で治療開始(抗がん剤と放射線)

2007年03月:移植4日前にカテーテル感染し、三途の川。その後造血幹細胞移植(姉の末梢血)

2007年04月:無菌室で3週間咳が止まらず。最終手段で肺洗浄(弱ってたし、これはホントにきつかった)、やっと止まった。

2007年05月:退院。免疫抑制剤等、薬は、量、種類大量。

2007年07月:敗血症で再入院。自宅療養中で唯一の生命の危機。

2008年04月:肝臓にGVHDが出てしまい再入院。免疫抑制剤に続いて、やっと止められたステロイドを再開・・・(ステロイドを止めるのにもう1年かかる)

2008年10月:EBウィルス感染で再入院(再発じゃないかと不安はMAXでした)

2010年06月:この頃には一切薬を飲んでいなかったような気が・・・

2017年01月:肺炎。気管支喘息判明。

2019年01月:気管支喘息治療終了

2021年お腹が弱くなる。汗冷えを起こすようになる。

2022年眠りが浅くなり、一時、明け方体がほてった。中途、早朝覚醒。無意識にできていた事でいろいろやらかすようになる。

2023年10月:喘息(夏の終わりの寒暖差?)

2023年11月:帯状疱疹

2023年12月:帯状疱疹。下痢、早朝覚醒、発汗は減少か。


リハビリ・復帰歴

2007年06月:ウォーキング

2009年08月:プールでウォーキング、ストレッチ(老人クラス)。その後、水泳、ヨガに移行。

2010年06月:社会復帰(フルタイム)いろいろ大変でした。朝は体がなかなか目を覚まさない。帰宅して夕食を食べた後は落ちるように寝てしまう。1年以上はそんな感じでした。ただ、自宅療養より仕事をしている方が気が張って体が強くなったと思います。ただし同病の方は、早期復職はこれに当てはまらないと思います。

2012年05月:合気道再開。他のリハビリはストップ。

【関連のエピソード】
移植をしたので、免疫力は赤ちゃん以下(赤ちゃんは母乳で守られている)。放射線治療で日焼けは厳禁。 何かと制限のある生活を送っていました。食べ物は火を通しているか、極力無菌の物。感染を避ける為、出来る限り自宅にいる等。 移植して1年が過ぎた頃(一時的だが、免疫抑制剤やステロイドが無くなった)、納豆やヨーグルト、生魚などに少しずつ挑戦し、2年後くらいからマスクなしの生活にしたり、プールや温泉にも入ってみました。今は3秒ルール復活で、落とした物も拾って食べられます。


治療を受けた病院

駒込病院

【関連のエピソード】
先生、看護師さん、掃除のおばちゃん、社会福祉士さん、口腔外科と良いスタッフに恵まれました。


病院に対する満足度

とても満足


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