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ぼんちゃん

治療終了のメンバー

ぼんちゃん

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【運営】非営利NPO法人5years
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【生まれた年】1978年

【都道府県】奈良県

【職業】ボランティア

【自己紹介】

はじめまして、奈良県の中南部に住んでいるぼんちゃんと言います。結婚はしていますが子どもはいません。
2017年10月初旬、左側の金玉が腫れ上がった。
10月中旬、しばらく、腫れが引かないのでボランティアの役員さんに相談したら早く病院に行く事を進められ、その後、家族に話しました。
休み明け、病院に行きました。親と妻と認知症の祖母と一緒に。
親と相談した結果医大病院に行きました。総合受付で状態を説明すると泌尿器科に通されました。まず、初診室に通され触診、医師からは「けっこう腫れているね。エコーでちょっと見て見ましょう!」機械にジェルを塗り直後股間に「うーん!これやな!こっちは大丈夫そうやな!」男の先生(研修医)と案外若い女の先生の会話
とりあえず、CT、 MR、レントゲン、検尿と血液検査もして下さいと言われとりあえずそれぞれの検査に行きました。ある程度したらまた初診室に呼ばれ今の状態の報告がありました。
「多分、精巣腫瘍です。」「いわゆる金玉の癌ね」あっきらかんに癌宣告!!
「とりあえず、今すぐにでも腫れているやつを手術しなくてはなりません。」
そんな事急に言われても思いながら今の世の中飲み薬や放射線治療で出来ないのかと思い先生に言うととりあえず、手術しかないと言われ、「今は病室が空いていないから3日後に来て下さい。次の日は手術を予約入れておきます」と患者に承諾も無く手術の同意書を渡され家に帰りました。
3日後の入院日。父親の運転で病院に来た。
受付は朝の10時から入院受付所で手続きをすませ泌尿器科に行き泌尿器科の病棟に通された。昼から食事が配られた。いまだに、同意書にサインはできていないそんな中、肺の検査や麻酔の説明を受ける為に麻酔科にいかされる。麻酔科ではマニュアル的なビデオを見せられその後、個人的に説明をうけた。でも、私はビデオをみただけでますます恐怖心がわいた。説明後、麻酔科でも同意書を渡されるが書くことができなかった。しかし、麻酔科の先生は少し強制的で本人さんが書けないのであればお母さん書いて下さいだって!少し腹立たしを覚え、もし、何かあったらどうしてくれんのと心の中で叫んだ。その後、手術の主当医の先生(診療助教、医員、別の研修医が担当だったが診療助教が対応)が来て手術内容の説明があったでも、私自身、サインする気分ができなかった。夜は手術前絶食、しかし飲み物が出た。最初は飲みにくいと聞いていたが案外飲みやすい。時間は過ぎて行くばかりだかまだ同意書にサインは書けない。私は以前に大腸のポリープを取った事はあるがその時はお尻からスコープを入れただけだ。その時に胃カメラを進められだが私は凄く敏感で喉も鼻からも無理だった。そんな事もあり、まだ戸惑っている。
手術日
昨日の夜はもやもやがあったがいつの間にか寝てしまっていた。手術は予定では昼の1時頃かららしい。しかし、いまだに同意書のサインはできていない。時間は手術時間につれ、まず、今日の担当麻酔科の女先生が説得に来た。私は麻酔する数秒前に辞めるのを条件にし、しぶしぶ了承し麻酔の同意書にサインをした。その後もう一人の手術担当(研修医)の先生が私を説得に来た。でも納得はいかなかったが母親と妻に説得させられ手術の方もしぶしぶサインをした。(この時予定の手術時間5分前)
その後、看護師が来て手術服とタイツみたいな物をはかされた。(血栓症の合併症回避の為らしい)その後、数分たっても呼ばれなく看護師が緊急オペが入っているためお遅くなりますと伝えて来た。その後、2時間たった位に手術室に通され、名前と生年月日を聞かれマウスを口に置かれいつの間にか寝ていた。気がついたと思えば病室だった。麻酔科の先生からは喉に痛みが残るかもまた、吐き気があるかもと言われていたがそれはなかった。少しほっとした。後で親から聞かされたが3時間位の手術だったらしい。あり程度したら凄く違和感がすごく痛みが出てきたあカテーテルに気づいたのですが看護師から痛み止めを打っているから大丈夫ですよとさとされた。
手術後
点滴が取れ、最初の大部屋に移される。午後から下の管も外してもらえた。1週間位で退院できたが毎週、外来で傷口の検査があった。
11月初旬。
外来の担当医(助教)も決まり診察へ。
結果、病理は奇形腫と胎児性癌で非セミノーマあった。やっぱり、精巣腫瘍と正式に病名が決まり、ました。しかも横隔膜の奥に8㎜の転位があるとの事。
従ってステージⅡaの判定、ただし、予後は良好の区分に入り主治医はこれから化学治療をすればとりあえず直るからと言われたのですがあまりにもショックが多く耳に入ってきませんでした。
又、主治医に放射線治療や飲み薬で聞くと「ぼんちゃんさんの腫瘍は化学治療しか効きません」との事。しかも3クールもしないといけない。以前から同じ病気の方のブログを読んで抗がん剤治療だけは勘弁して欲しいと思っていたので最悪な気持ちになりました。
その後は抗がん剤の副作用の怖さと恐怖でいっぱいでした。とりあえず、抗がん剤の開始の日程を約束し、とりあえず家に帰ったこの病気になって抗がん剤の副作用の効果により抵抗力が失うらしい。その為不潔になるといろんな感染症(命に関わる物も)になる可能性がある為この時から、歯磨き、と手洗い、とマスクの練習をしています。
また、親と妻と相談し、精子保存を決め、医大で紹介してもらった産婦人科に行く。また、副作用に脱毛があるからと聞いたのでスキンヘッドにしました。
12月初旬1クール目開始(外来の助教と手術の時の研修医が担当)
抗がん剤投与の初日からグラニセトロンとデキサート(吐き気止め、ステロイド剤)をまず15分かけて注射、エトポシド(腫瘍の増殖を押さえる液)とブドウ糖500mlを一時間かけて注射、次にシスプラチン(腫瘍なの増殖を押さえる液)と生理食塩液500mlをこれも一時間かけて注射、次にブレオと生理食塩液100mlを15分かけて注射最後に生理食塩液を1時間かけて1日目は終わり。(この時エトポシドに反応、首筋から熱があった。)
2日目はブレオの入った注射以外はあるみたいです。(副作用はアレルギー反応が出てきたのかわかりませんが口内炎が出てきました。また咳が出たり、しゃっくりが出たりしました。
相変わらず、エトボシドのアレルギー反応はありました。
3日目から5日目迄はグラニセトロンの注射のみになりイメンドの吐き気止め飲み薬がはじまります。(3日目位に頭はスキンヘッドにしているのでわからないがまつ毛や眉毛が脱毛発生、エトボシドのアレルギー反応は相変わらず)
4日目
抗がん剤投与はいつも通り、エトポシドも相変わらず、アレルギー反応が出る。
しかし、吐き気もピークになりましたが毎日の制吐剤と吐き気止めの為、嘔吐にはならず夜は特に辛い日々を過ごしました。食欲もぐんと下がり、病院食は受けつけなくなる。イメンドを余分に飲む。
5日目、前日と同じ工程。前日、イメンドを余分に飲んだせいでイメンドを飲めず。
6日目、朝食後、吐き気止め、イメンド、デカトロンを飲んで、一時退院。
8日目は朝から自宅で朝食を取り、デカドロンの飲み薬と外来で診察(初診で診察してくれた研修医が対応)して、化学治療室でブレオを含む点滴と生理食塩水を投与される。
15日目はブレオを含む点滴だったのですが骨髄抑制の為、血液成分が標準値より下がり、感染の危険があるので皮下注射をする事になる。
1クール目はほとんど、手術の時の研修医が対応してくれたがシスプラチンの主な副作用として吐き気、嘔吐が気になったので抗がん剤投与中はなるべく多く水分を飲んでいた。また水分と抗がん剤投与のせいで、毎日2時間迄、おしっこに起こされ、あまり、眠れなかった。
また、皮膚の沈着は親指に爪の色素が残る。
幸か不幸か抗がん剤投与以外も毎日、胸のムカムカが残り、気持ち悪さがあった。
年末3日前に急遽連絡があり、予定では、年を跨いでから2クール目が開始する事だったが大晦日から入院し、正月元旦から2クール目を開始したいと連絡を貰うがこちら側とすれば、まだ気持ち悪さも残っているしそんな話、急に言われてもと焦る。この時、さらに手術の時の研修医からは来年から転院するからいないと連絡がありました。
大晦日にとりあえず、入院の用意をして、病院に行き2クール目の開始できる身体かどうか調べる為に、レントゲンや血液検査、尿検査を済ませ待っていたら、看護師さんからOK の許可が出たので、病室へどうぞとあっけらかんに言うので、先生の診察を済ませてから出ないといけませんと伝え、先生を待った。しばらくしたら、研修医の先生が来てくれて、正月から投与を納得できない事を伝えると正月後(約2週間後)に外来の助教の診察を済ませてから治療を開始する事になりました。
ここで、標準治療日数(1クール21日)と違う日数が始まります。
今年(2018年)1月15日久しぶりの外来。(担当は助教)
正月前の事を再度説明し、主治医も理解してくれた。(原因は私からすれば、説明のミスである。)また、研修医の先生がいなくなるので、別の先生を付けてもらう事になった。(いま迄の助教と手術の時の医員が担当になった。)
次の週の月曜日から2クール目が開始。
前回同様、前日から入院し、次の日からの抗がん剤投与液の説明。1クール目の副作用吐き気が強く出たので今回から最後にラクテック(生理食塩水に似た液)を500mlを3時間投与が追加される事になった(この時の説明は手術の時医員)
今回も抗がん剤液は同じ工程。但し、前回の反省もあり、今回から、抗がん剤投与中の水分補給は規則正しく、5分間事に一口づつ飲むようにしたがやはり、3日目位には吐き気が強くなり、5分おきから7分おきに変更した。(病院の先生はなるべく、多く水分をとって下さいとは言うが量を聞くと1日2リットル から3リットル位飲まないといけないらしいが夏場でもないので飲めませんでした。)
また、1クール目も同じだったのですが病院の番茶から◯円の麦茶に変わり、ミネラル水迄、受けつけなくなりました。幸いにも、◯塚製薬のスポーツドリンクは飲めました。
5日目迄、1クール目同様な感じが続きました。
6日目は前回の最後のブレオが打てなかったので、最初に皮下注射をして一時退院できました。
8日目は前回同様、ブレオを投与しました。
15日目は今回はブレオを打つ事ができました。その時に3クール目開始の話になり、前回同様日数をどうしますか?と聞かれたので、できるのであれば今回も長く開けて欲しいですけど。というと2/19日に診察し、2/26日から治療を開始するようになりました。
ここでも、標準日数とは違う日数でした。
2/19日に信じられない人言が診察時先生(医員)から浴びせられた。腫瘍マーカーは標準値迄落ちているがまた、上がっているとの事でした。理由は標準日数で治療をしていない可能性があるからと私達患者側が標準日数を断ったからなったかもしれないとの事でした。それを聞いて、もう、がっかりと腹だたしさでいっぱいになり、治療が効いていないのであれば3クール目を辞めようかなぁと思ったりしましたが腹だたしさがあったので、急遽、泌尿器科の助教に診察してもらいなんとか、来週の月曜日にやる事になりましたが今回も条件を付けました。それはあまりにも、しんどい辛い副作用が出たら途中でも辞めるかもしれないという条件をしました。
今も胸のムカムカが残り、気持ち悪いです。また、嘔吐をすれば少しは楽になるかもしれませんが癖漬けにもなってもしんどいので我慢をしています。また、制吐剤や吐き気止めの影響で嘔吐できないかもしれません。

【ご登録時の状況】

現在、2クール目迄終わり、来週の日曜日(2018/2/25)から入院、次の日から抗がん剤治療を開始予定。今も副作用の胸の気持ち悪さが残っているのに3クール目も乗り越える事が出来るであろうか?
腫瘍はきちんと、消滅しているのか?凄く不安が残ります。

【思うこと、考えること】

生きたい、でも、副作用が辛い!不安が止まらない!
腫瘍が小さくなっているかなぁ?

【その他】

[血液型] AB型

[星座] 水がめ座

[趣味・特技] ドライブ、旅

[既婚/未婚] 既婚

[長所] 優しさ(親や妻から)

[好きな動物] 犬(噛みつく犬は除く)

[好きな食べ物] 肉、牡蠣、雲丹

[好きなスポーツ] ウォーキング、ノルディックウォーク

[好きな色] 緑、グリーン系

[好きな季節] 春(花粉時期は除く)

[好きな音楽ジャンル] テレビの主題歌

[好きなブランド] 特になし

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精巣腫瘍(睾丸がん) (去年(2017年)の11月に精巣腫瘍と発覚)

この病気のエピソード
2017年10月初旬、左側の金玉が腫れ上がった。 10月中旬、しばらく、腫れが引かないのでボランティアの役員さんに相談したら早く病院に行く事を進められ、その後、家族に話しました。 休み明け、病院に行きました。親と妻と認知症の祖母と一緒に。 親と相談した結果医大病院に行きました。総合受付で状態を説明すると泌尿器科に通されました。まず、初診室に通され触診、医師からは「けっこう腫れているね。エコーでちょっと見て見ましょう!」機械にジェルを塗り直後股間に「うーん!これやな!こっちは大丈夫そうやな!」男の先生(研修医)と案外若い女の先生の会話 とりあえず、CT、 MR、レントゲン、検尿と血液検査もして下さいと言われとりあえずそれぞれの検査に行きました。ある程度したらまた初診室に呼ばれ今の状態の報告がありました。 「多分、精巣腫瘍です。」「いわゆる金玉の癌ね」あっきらかんに癌宣告!! 「とりあえず、今すぐにでも腫れているやつを手術しなくてはなりません。」 そんな事急に言われても思いながら今の世の中飲み薬や放射線治療で出来ないのかと思い先生に言うととりあえず、手術しかないと言われ、「今は病室が空いていないから3日後に来て下さい。次の日は手術を予約入れておきます」と患者に承諾も無く手術の同意書を渡され家に帰りました。 3日後の入院日。父親の運転で病院に来た。 受付は朝の10時から入院受付所で手続きをすませ泌尿器科に行き泌尿器科の病棟に通された。昼から食事が配られた。いまだに、同意書にサインはできていないそんな中、肺の検査や麻酔の説明を受ける為に麻酔科にいかされる。麻酔科ではマニュアル的なビデオを見せられその後、個人的に説明をうけた。でも、私はビデオをみただけでますます恐怖心がわいた。説明後、麻酔科でも同意書を渡されるが書くことができなかった。しかし、麻酔科の先生は少し強制的で本人さんが書けないのであればお母さん書いて下さいだって!少し腹立たしを覚え、もし、何かあったらどうしてくれんのと心の中で叫んだ。その後、手術の主当医の先生(診療助教、医員、別の研修医が担当だったが診療助教が対応)が来て手術内容の説明があったでも、私自身、サインする気分ができなかった。夜は手術前絶食、しかし飲み物が出た。最初は飲みにくいと聞いていたが案外飲みやすい。時間は過ぎて行くばかりだかまだ同意書にサインは書けない。私は以前に大腸のポリープを取った事はあるがその時はお尻からスコープを入れただけだ。その時に胃カメラを進められだが私は凄く敏感で喉も鼻からも無理だった。そんな事もあり、まだ戸惑っている。 手術日 昨日の夜はもやもやがあったがいつの間にか寝てしまっていた。手術は予定では昼の1時頃かららしい。しかし、いまだに同意書のサインはできていない。時間は手術時間につれ、まず、今日の担当麻酔科の女先生が説得に来た。私は麻酔する数秒前に辞めるのを条件にし、しぶしぶ了承し麻酔の同意書にサインをした。その後もう一人の手術担当(研修医)の先生が私を説得に来た。でも納得はいかなかったが母親と妻に説得させられ手術の方もしぶしぶサインをした。(この時予定の手術時間5分前) その後、看護師が来て手術服とタイツみたいな物をはかされた。(血栓症の合併症回避の為らしい)その後、数分たっても呼ばれなく看護師が緊急オペが入っているためお遅くなりますと伝えて来た。その後、2時間たった位に手術室に通され、名前と生年月日を聞かれマウスを口に置かれいつの間にか寝ていた。気がついたと思えば病室だった。麻酔科の先生からは喉に痛みが残るかもまた、吐き気があるかもと言われていたがそれはなかった。少しほっとした。後で親から聞かされたが3時間位の手術だったらしい。あり程度したら凄く違和感がすごく痛みが出てきたあカテーテルに気づいたのですが看護師から痛み止めを打っているから大丈夫ですよとさとされた。 手術後 点滴が取れ、最初の大部屋に移される。午後から下の管も外してもらえた。1週間位で退院できたが毎週、外来で傷口の検査があった。 11月初旬。 外来の担当医(助教)も決まり診察へ。 結果、病理は奇形腫と胎児性癌で非セミノーマあった。やっぱり、精巣腫瘍と正式に病名が決まり、ました。しかも横隔膜の奥に8㎜の転位があるとの事。 従ってステージⅡaの判定、ただし、予後は良好の区分に入り主治医はこれから化学治療をすればとりあえず直るからと言われたのですがあまりにもショックが多く耳に入ってきませんでした。 又、主治医に放射線治療や飲み薬で聞くと「ぼんちゃんさんの腫瘍は化学治療しか効きません」との事。しかも3クールもしないといけない。以前から同じ病気の方のブログを読んで抗がん剤治療だけは勘弁して欲しいと思っていたので最悪な気持ちになりました。 その後は抗がん剤の副作用の怖さと恐怖でいっぱいでした。とりあえず、抗がん剤の開始の日程を約束し、とりあえず家に帰ったこの病気になって抗がん剤の副作用の効果により抵抗力が失うらしい。その為不潔になるといろんな感染症(命に関わる物も)になる可能性がある為この時から、歯磨き、と手洗い、とマスクの練習をしています。 また、親と妻と相談し、精子保存を決め、医大で紹介してもらった産婦人科に行く。また、副作用に脱毛があるからと聞いたのでスキンヘッドにしました。 12月初旬1クール目開始(外来の助教と手術の時の研修医が担当) 抗がん剤投与の初日からグラニセトロンとデキサート(吐き気止め、ステロイド剤)をまず15分かけて注射、エトポシド(腫瘍の増殖を押さえる液)とブドウ糖500mlを一時間かけて注射、次にシスプラチン(腫瘍なの増殖を押さえる液)と生理食塩液500mlをこれも一時間かけて注射、次にブレオと生理食塩液100mlを15分かけて注射最後に生理食塩液を1時間かけて1日目は終わり。(この時エトポシドに反応、首筋から熱があった。) 2日目はブレオの入った注射以外はあるみたいです。(副作用はアレルギー反応が出てきたのかわかりませんが口内炎が出てきました。また咳が出たり、しゃっくりが出たりしました。 相変わらず、エトボシドのアレルギー反応はありました。 3日目から5日目迄はグラニセトロンの注射のみになりイメンドの吐き気止め飲み薬がはじまります。(3日目位に頭はスキンヘッドにしているのでわからないがまつ毛や眉毛が脱毛発生、エトボシドのアレルギー反応は相変わらず) 4日目 抗がん剤投与はいつも通り、エトポシドも相変わらず、アレルギー反応が出る。 しかし、吐き気もピークになりましたが毎日の制吐剤と吐き気止めの為、嘔吐にはならず夜は特に辛い日々を過ごしました。食欲もぐんと下がり、病院食は受けつけなくなる。イメンドを余分に飲む。 5日目、前日と同じ工程。前日、イメンドを余分に飲んだせいでイメンドを飲めず。 6日目、朝食後、吐き気止め、イメンド、デカトロンを飲んで、一時退院。 8日目は朝から自宅で朝食を取り、デカドロンの飲み薬と外来で診察(初診で診察してくれた研修医が対応)して、化学治療室でブレオを含む点滴と生理食塩水を投与される。 15日目はブレオを含む点滴だったのですが骨髄抑制の為、血液成分が標準値より下がり、感染の危険があるので皮下注射をする事になる。 1クール目はほとんど、手術の時の研修医が対応してくれたがシスプラチンの主な副作用として吐き気、嘔吐が気になったので抗がん剤投与中はなるべく多く水分を飲んでいた。また水分と抗がん剤投与のせいで、毎日2時間迄、おしっこに起こされ、あまり、眠れなかった。 また、皮膚の沈着は親指に爪の色素が残る。 幸か不幸か抗がん剤投与以外も毎日、胸のムカムカが残り、気持ち悪さがあった。 年末3日前に急遽連絡があり、予定では、年を跨いでから2クール目が開始する事だったが大晦日から入院し、正月元旦から2クール目を開始したいと連絡を貰うがこちら側とすれば、まだ気持ち悪さも残っているしそんな話、急に言われてもと焦る。この時、さらに手術の時の研修医からは来年から転院するからいないと連絡がありました。 大晦日にとりあえず、入院の用意をして、病院に行き2クール目の開始できる身体かどうか調べる為に、レントゲンや血液検査、尿検査を済ませ待っていたら、看護師さんからOK の許可が出たので、病室へどうぞとあっけらかんに言うので、先生の診察を済ませてから出ないといけませんと伝え、先生を待った。しばらくしたら、研修医の先生が来てくれて、正月から投与を納得できない事を伝えると正月後(約2週間後)に外来の助教の診察を済ませてから治療を開始する事になりました。 ここで、標準治療日数(1クール21日)と違う日数が始まります。 今年(2018年)1月15日久しぶりの外来。(担当は助教) 正月前の事を再度説明し、主治医も理解してくれた。(原因は私からすれば、説明のミスである。)また、研修医の先生がいなくなるので、別の先生を付けてもらう事になった。(いま迄の助教と手術の時の医員が担当になった。) 次の週の月曜日から2クール目が開始。 前回同様、前日から入院し、次の日からの抗がん剤投与液の説明。1クール目の副作用吐き気が強く出たので今回から最後にラクテック(生理食塩水に似た液)を500mlを3時間投与が追加される事になった(この時の説明は手術の時医員) 今回も抗がん剤液は同じ工程。但し、前回の反省もあり、今回から、抗がん剤投与中の水分補給は規則正しく、5分間事に一口づつ飲むようにしたがやはり、3日目位には吐き気が強くなり、5分おきから7分おきに変更した。(病院の先生はなるべく、多く水分をとって下さいとは言うが量を聞くと1日2リットル から3リットル位飲まないといけないらしいが夏場でもないので飲めませんでした。) また、1クール目も同じだったのですが病院の番茶から◯円の麦茶に変わり、ミネラル水迄、受けつけなくなりました。幸いにも、◯塚製薬のスポーツドリンクは飲めました。 5日目迄、1クール目同様な感じが続きました。 6日目は前回の最後のブレオが打てなかったので、最初に皮下注射をして一時退院できました。 8日目は前回同様、ブレオを投与しました。 15日目は今回はブレオを打つ事ができました。その時に3クール目開始の話になり、前回同様日数をどうしますか?と聞かれたので、できるのであれば今回も長く開けて欲しいですけど。というと2/19日に診察し、2/26日から治療を開始するようになりました。 ここでも、標準日数とは違う日数でした。 2/19日に信じられない人言が診察時先生(医員)から浴びせられた。腫瘍マーカーは標準値迄落ちているがまた、上がっているとの事でした。理由は標準日数で治療をしていない可能性があるからと私達患者側が標準日数を断ったからなったかもしれないとの事でした。それを聞いて、もう、がっかりと腹だたしさでいっぱいになり、治療が効いていないのであれば3クール目を辞めようかなぁと思ったりしましたが腹だたしさがあったので、急遽、泌尿器科の助教に診察してもらいなんとか、来週の月曜日にやる事になりましたが今回も条件を付けました。それはあまりにも、しんどい辛い副作用が出たら途中でも辞めるかもしれないという条件をしました。 2/25日3クール目の為、先日入院をする。 2/26日3クール目抗がん剤連続投与開始。 今回も同じようにブレオ、シスプラチン、エトポシドを1日目に投与される。 2日目から5日目迄はブレオを省いた抗がん剤になりました。 今も胸のムカムカが残り、気持ち悪いです。また、嘔吐をすれば少しは楽になるかもしれませんが癖漬けにもなってもしんどいので我慢をしています。また、制吐剤や吐き気止めの影響で嘔吐できないかもしれません。

患者さんとの関係

本人


治療を受けた病院

奈良県立医大病院

【関連のエピソード】
隣町の総合病院 感染予防として、皮膚科、口腔外科、精神科を受けている。


大腸ポリープ (3年前(2015年)位に大腸ポリープになりました。)

この病気のエピソード
夕方、外食後、旧に下痢が発生、その時は血便が出てきた。自宅に戻るが下痢は続き、親やと妻に相談する。 至急、病院に連れられ隣町の中規模総合病院に緊急入院する。しかし、血便の理由がわからず、別の病院を進められるが父親の知りあいに大腸専門の人に紹介してもらい転院が決まる。 結果的に大腸にポリープが出きていてそれが破裂し血便になった。その後、お尻から、カメラの結果、数ヶ所にポリープがあり、腫瘍を取り除きとりあえず、退院。毎月、外来に行くが完治している報告をされない状態で病院を通うのを辞めた。


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