TOPへ

mana

治療終了のメンバー

mana

治療終了のメンバー

※青色が選択中の内容です。グレーのエリアをクリックすると内容が切り替わります。

【運営】非営利NPO法人5years
    がんコミュニティサイト(無料)

登録すると全員(23786人)の以下の情報を見られます。

  • プロフィール情報
  • 近況ブログ
  • 受けた治療

みんなの広場」で登録者とコミュニケーションを取ることもできます。

会員登録する


【年代】70代

【都道府県】静岡県

【職業】会社役員

【自己紹介】

FBで「がんの経過観察を楽しむみんなの知恵袋」というグループを立ち上げて管理者をしています。2021年現在は3,500人以上のご参加がありました。がんの経過観察中の方だけではなく、現在治療中の方や医療関係者、各種の民間療法の方も多数参加されています。
また、地元の浜松市で「民間がんサロン ホ・オポノポノ浜松」を立ち上げ、同名のFBグループもあり、2021年で約300名が全国から参加されています。こちらはリアルに出会い、病院のがんサロンでは話せない現実的で総合的な問題を話し合ったり、月に一度のがんサロンでは民間療法の専門家から治療に関する正しい知識を学んでいます。
2021年には「浜松がん哲学外来カフェ ともしび」を教会の集会所を会場にして開設し、月に一度、「ことばの処方箋」を大切にしたがん哲学外来カフェを開催しています。

【ご登録時の状況】

咽頭がんで、扁桃腺と首の右側のリンパ節にがんがありました。抗がん剤3回、手術、放射線治療とフルコースで寛解しました。手術を嫌って自ら選んだ3回の抗がん剤による治療でしたが、その後遺症として、平熱が33度後半から34度台という超低温になり、約10年間も超低体温と向き合って過ごしました。哺乳動物が冬眠に入る体温に近く、私自身も冬眠生活のような不活動の日々を過ごしました。その後は34度台から37度近くまで1日に何度も体温が乱高下する状態を3年間ほど体験し、14年目になってから、やっと36度前後の体温で安定し、人間らしい生活ができるようになりました。どんな状態でも、自らの体と相談しつつ過ごすことで、体が治りたがっている力を信じ、治癒へと迎えると確信しています。

【思うこと、考えること】

がんは、自分で作った病気です。だから、自分で治す病気です。病院での対処療法と両立させて、本当の意味での「自己治療」が必要であると感じています。経過観察期間という、自分自信ががんと向き合う時間を大切にし、全ての方がより健康的で、より豊かな人生を過ごせるようになっていただきたいと願っています。また、がんがどんな状態になっても、その時点からがんを治し、がん治癒の後に自分らしい人生を生きる可能せてがあると信じています。

【その他】

[血液型] O型

[星座] 乙女座

[趣味・特技] 読書

[既婚/未婚] 未婚

[ブログ] https://ameblo.jp/rurudog/

【運営】非営利NPO法人5years
    がんコミュニティサイト(無料)

登録すると全員(23786人)の以下の情報を見られます。

  • プロフィール情報
  • 近況ブログ
  • 受けた治療

みんなの広場」で登録者とコミュニケーションを取ることもできます。

会員登録する


中咽頭がん



咽頭がん

この病気のエピソード
がんを発見した最初の総合病院では、専門医不在からストレス性喘息の病歴を怖がってMR検査を拒否されて、もっと大きながんの拠点病院へ移りました。そこで「ストレス性喘息は喘息ではない」と正式に診断されて、各種の検査が可能になりました。がんの検査以前の段階で、「喘息」という一つの大きな壁があったスタートでした。 その拠点病院で咽頭がん(扁桃がん)と診断され「このがんには抗がん剤がものすごく効く」という説得で、抗がん剤治療を選択しました。咽頭がんの抗がん剤治療は、1週間・24時間、ずっと点滴で抗がん剤を注入し続けるというものです。抗がん剤が終わった数日後に副作用が出て白血球が激減する事態になり、最初の時は白血球の中の好中球が20〜50にまで激減(治療前は7,000以上)する異常事態になりました。1ヶ月後の2回目の抗がん剤治療後の副作用では150程度に落ち、どちらも入院して治療しました。 私は抗がん剤だけで治る・・・と理解していたのですが、治療後に、医師は「抗がん剤でがんが消えるとは言ったが、治るとは言っていない」と言い出し、引き続いての手術と放射線治療を勧めてきました。その時は、2回目の抗がん剤治療直後で、がんは完全に消えていました。私は、もちろん拒否して、がんが消えてしまった事に満足していました。 その3ヶ月後の検診で、首のリンパ節のがんの再発がわかりました。再発がんは一つだけだと言う話でした。 私は、再度の抗がん剤治療を希望しました。がんが消えた実績があったからです。 薬(の毒性)が強すぎるので3度目の抗がん剤治療が最後のチャンスだと言われましたが、あえてチャレンジしました。 その結果は、がんの勝利でした。抗がん剤が効かなくなっていました。 直ぐに手術を勧められましたが、ゲルソン療法を中心にした代替療法を選択し、自分で治す事にしました。若い主治医からは「がんになってしまった人が、自力で自分のがんを治せるわけがない」と断言されました。そこで「がんになってからは、日々、いつもよりも多くのがん予備軍の悪質な細胞が生まれているはずなのに、がんが増えていないのは、がん細胞を自分で治している確かな証拠でしょう!!」と論破し、持論を貫きました。 約3ヶ月の代替療法で、首のがん細胞は消滅寸前までになりました。若い主治医がこだわっていた手術の方法に関する見解の違いから、セカンドオピニオンを2ヵ所(医大とがんセンター)にしていたのですが、その2ヵ所とも、がんの自然消滅を請け負ってくれたほどです。でも、ささやかなストレスがきっかけになり、がんは一気に増殖してしまいました。 首のリンパ節の中でも、血管や神経に近い場所だから、癒着や脳転移の危険性が高くなったと脅されて、手術に踏み切ることにしました。手術はセカンドオピニオンの2ヵ所の病院の意見が一致し、私も納得できたので、医大に転院しました。 最初の病院では、原発の扁桃腺と転移した首のリンパ節以外に、安全のために舌の一部と首の筋肉とさらにその奥の組織まで取るというもので、術後の生活など何も考えていない論外な方法でした。私は、セカンドオピニオンで確認し転院しましたが、私に提案されたそのままの手術を受けた人が身近にいました。後で知ったのですが、その手術のために会話能力も嚥下能力もなくなり、離職して廃人のようになってしまわれたそうです。 手術時の生体検査で、もう大丈夫だと言われていた原発の扁桃腺からがん細胞がみつかりました。それまでの検査ならば「なし」だったのに、より精密な検査が可能になったための「発見」でした。放射線治療を勧められてかなりもめましたが、医大耳鼻咽喉科の最高責任者の教授である主治医に「患者主導の治療」を納得させて、放射線治療を受ける事になりました。 「患者主導」なので、放射線の照射角度に注文をつけて、唾液腺と舌の味蕾を死守できる角度を何度も打合せました。そのおかげで、放射腺医も「初の試み」という唾液腺と舌の味蕾を死守した納得がいく照射計画ができ、照射回数も患者が決めると宣言しました。ただ、医学界の今の知識として、20回未満で効果があったと言うデータがないので、20回以上は必要で、生涯に立った1度の治療チャンスなので30回はしてほしいと要望されました。放射線医が出した希望回数は33回でした。 毎日、患部の状態の確認がありますが、29回目になった時、正常な部分の火傷がひどくなったので中止を宣言しました。宣下をしに病院へいっているわけですから、せめてその日の治療をして30回にしてほしいと放射線医から懇願され、30回を持って中止に決定しました。 自分の主張を貫いた治療なので、再発などは絶対にしたくないと思い、代替療法的な健康管理とリハビリを自発的に続けて、主治医が驚くほどの回復を維持しています。


会員登録(無料)すると確認できるようになります。

会員登録する