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ふくちゃん

治療中のメンバー

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【運営】非営利NPO法人5years
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【生まれた年】1955年

【都道府県】大阪府

【職業】無職

【自己紹介】

昨年6月頃から胸焼けや食欲不振があり胃腸内科を受診したところピロリ菌が原因と診断されました。その後いろいろな経緯を経て、一年後の今年5月、胃がんと診断され全摘手術をしました。

【ご登録時の状況】

胃全摘手術後1ヶ月。
一年間ts1服用

【思うこと、考えること】

まだ術後1ヶ月で、ひたすら混乱しています。根治手術成功と聞かされましたが、進行度はⅡb。予防の抗がん剤服用とも言われ落ち込んでいます。とにかく落ち込みが激しく、前向きになれない今の精神状態がとても辛いです。同じような思いをされ、それを乗り越えてこられた方々の経験談をぜひ聞かせていただき、励みにさせてもらいたいと思っています。

【その他】

[血液型] A

[星座] 牡羊座

[趣味・特技] 読書、コーラス

[既婚/未婚] 既婚

[好きな動物] 猫

[好きなスポーツ] ヨガ

[好きな色] ピンク

[好きな季節] 春

[好きな音楽ジャンル] 全て

[好きなブランド] なし

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胃がん



胃がん


病歴・治療歴

2017年06月:胸焼けのため、近隣の胃腸クリニックで胃カメラ検査。慢性胃炎、ピロリ菌あり。慢性胃炎を治療後除菌の予定。不遜な態度の医師と上から目線の看護師事務員の態度で受診を止める

2017年11月:胸焼けひどく、かかりつけ内科でガスターテンん服用。少し楽になる。

2018年02月:胸焼けが酷くなり、ピロリ菌除のため、消化器内科を受診する、除菌する。

2018年03月:常に胃の不快感があり、食欲もドンドン失せるが、一割程除菌の副作用が出ることがあり、多分そうであろう。でも薬は出来るだけ除菌の確認するまでは飲まないでもらいたいとのことで、食欲がないまま5月連休を終える。

2018年05月:除菌は完了。しかし昨年六月に胃カメラを飲んで一年になるから、この機会に胃カメラしましょと軽いノリで胃カメラけんさをする。

2018年05月:胃カメラ検査後、ドクターが首を傾げる仕草をする。検査後、ちょっと怪しい所があるので検査に出しますとのこと。

2018年05月:夜間、ドクターから直接携帯に電話があり、ガンが見つかったと報告される。翌日、夫婦で詳しい結果を聞きに出向く。

2018年05月:詳しい検査の結果を聞く。ガンの出来た場所、形から全摘になる。どこの病院でも標準治療と決まっているので、通いやすい場所にある病院でいいと思うとのこと。真剣に寄り添って考えてくれるドクターを信じ、近隣の総合医療センターに決める。

2018年05月:総合医療センター受診。全く同じ説明を受ける。術前のいろいろ検査を受けるが全て異常なし。

2018年06月:胃全摘、リンパ切除。根治手術成功

2018年07月:病理検査ではどこにも転移がなかったが、がんの質が悪かったのと、漿膜までかかっていたということでⅡbのステージのため術後1ヵ月から補助薬1年間服用することとなる。

2018年07月:退院前の血液検査で白血球の数値少しの発熱はあったものの特に容態は変わらず。すぐにエコー検査をする。胆囊の壁が分厚くなっている?とかで5日間絶飲絶食、抗生剤点滴治療。特に痛かったわけでも、疲れたわけでもなく、ひたすら空腹に耐えた5日間だった。すぐに数値も下がり、予定より10日遅れて退院する。

2018年07月:13日退院

2018年07月:7月半ばよりts1 服用。しかし2クール終える頃に骨髄抑制なのか、気を失い、背中圧迫骨折。8月末までコルセット着用。それにもまして、味覚障害のみならず食事が詰まり、ゼリー状のものしかほとんど受け付けない。以下エピソードとして記載します。

2020年12月:吻合部狭窄のためジブー術。狭窄が開く。

2019年11月:左水腎症のため尿管ステント挿入。数週間後のエコー検査で改善見られず。

2020年02月:急性腎盂腎炎で入院。右腎も水腎症となり、とりあえず入院中は導尿管を入れて膀胱からの尿の排泄を促す。また入院中、経膣経由でわずかながら見られる腹水を採取。細胞検査をする。

2020年02月:2月21日PET検査が他病院のため、とりあえず退院。

2020年02月:主治医より、腹膜播種を宣告される。即、転院希望を願い、診療依頼という形で腹膜播種センターを3月21日に受診となる。泌尿器科も右尿管にステントと話があるだろうけど、転院先にお願いしたい旨、伝えるよてい。

【関連のエピソード】
退院よりts1 の副作用による食欲不振、貧血と不調が続き、何より食事が詰まり、一日中嘔吐(胃がないので嘔吐と言えるのか…)し、口にできたのはゼリー、柔らかいお煎餅、バームクーヘン、バナナ、のみ。ts1 を中止してもらう。その後、あまりに詰まる不安から毎月受診で詰まることを訴え、再度入院して、私の食べ方を指導してほしいとお願いするが「そんな理由では入院できません。要は食べ方の問題です。少しずつ食べて下さい」と言われるのみ。私から「繋ぎ目が小さくなるってことはないですか?」と尋ねても「それはあり得ません」こんな会話を半年続け、10月頃にはもうスムージーさえ詰まり、薬も通らなくなりました。それに伴い、体力も枯渇し、ほぼ寝たきり状態。また初めて坐骨神経?というのを経験し、立つことも座ることも、歩くことはもちろんできず、真上になって寝るだけが痛みを緩和してくれました。夫に近隣の整形外科に連れて行ってもらうが、レントゲンではこれほど痛がる所見が見当たらない、ということで手術をした総合病院の整形外科に紹介状をもらい受診しました。そこでもあらゆる検査をしても痛みの原因が分からず。とうとう12月の外科受診でゴリ押しのように入院をお願いしました。体重は32キロ。このままでは餓死してしまう、と主治医に訴え、それなら二ヶ月後にある検査の前倒しということで「検査入院という名目で1週間だけ入院してもらいます、1週間で出てもらいますよ。」と念を押した主治医の言葉は今でも忘れられません。病棟ではモンスターペイシェントと扱われているのが痛いほど感じられました。主治医はサッサと検査を、のスタンスでエコーMR、CT、血液検査とどんどん進め、「どこも転移、再発ありませんよ。」と結果報告に来る。「ふくちゃんさんはガンになってからどんどん悪くなってるでしょ。でも、転移も再発もないんです。入院はここではなく、精神科のほうがいいのかなと思うのですが…」確かにガンになったことに対してまだ半年足らず、メンタルは弱いのは確か。でも現実として、詰まる、痛い、これが精神的なものであるはずがない。不謹慎ですが、どこか転移でもしてくれていたら…と願いました。それで最後に主治医が「最後に内視鏡検査しておきますわ」これが終わったら退院しか無いな。と奈落の底に落ちていく気持ちでした。最後の内視鏡検査。鎮静剤でうつらうつらしている私の耳に入ってきたのは「内視鏡が通りません」と慌ただしく話しているスタッフの声でした。この日の夜、仕事帰りの夫と共に受けた説明は「これが、手術がの吻合部、こちらが今日の内視鏡で見た吻合部。ほとんど空いていないんですよ。これでは食べれません。」術後から回復に向かう大切な半年間を私はほとんど栄養も食事の訓練もできず、無駄に過ごしてしまったのです。整形外科からは「急激な痩せによる坐骨神経」と診断されました。元気な若いドクターは「どんどん食べて太れば良くなって行きますよ」何と、無責任な言葉。胃を全摘し、それでなくても小食で年齢的にも大食漢になることはまずあり得ません。でも吻合部を広げる処置のおかげで食べることができています。一度も詰まらず食べれています。詰まらないって、なんと素晴らしい!と感激しました。が、その感激も今年一月からまた10ヶ月のぬか喜び?11月の検査で左水腎症が見つかり、またあらゆる検査をしましたが何故尿管が狭窄しているのか分からず、11月8日に尿管ステントを入れることになりました。最初は子宮体癌の可能性あり、と婦人科も受診、造影剤CT、エコー、PETも受けましたが、原因不明。結局対処療法ではありますが、ステント入れてきます。 未だに思うのは、詰まると訴え始めた時、なぜ簡単な内視鏡をしてくれなかったのか…ドクターの意地、こだわり?しかし、私にとっては詰まる、吐けない嘔吐感、坐骨の激痛、地獄のような半年間でした。何度もこのサイトを閲覧し、気持ちを吐き出そうと思いましたか、その気力さえ、スマホを打つ力さえ出ませんでした。でも、嬉しいお話しの中で、時折心が痛くなる報告も本当に辛いものでした。静かに静かにお祈りしています。


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