TOPへ

ちゃみ

家族のメンバー

ちゃみ

家族のメンバー

※青色が選択中の内容です。グレーのエリアをクリックすると内容が切り替わります。

【運営】非営利NPO法人5years
    がんコミュニティサイト(無料)

登録すると全員(23842人)の以下の情報を見られます。

  • プロフィール情報
  • 近況ブログ
  • 受けた治療

みんなの広場」で登録者とコミュニケーションを取ることもできます。

会員登録する


【年代】60代

【都道府県】埼玉県

【職業】飲食店パート

【自己紹介】

80歳で母の膵臓癌が発覚、1年1ヶ月闘病。
2016年6月に亡くなりました。

【ご登録時の状況】

「ご登録時の状況」については未登録です。

【思うこと、考えること】

「思うこと、考えること」については未登録です。

【その他】

[ブログ] http://bamiko3.seesaa.net/category/25533348-1.html

【運営】非営利NPO法人5years
    がんコミュニティサイト(無料)

登録すると全員(23842人)の以下の情報を見られます。

  • プロフィール情報
  • 近況ブログ
  • 受けた治療

みんなの広場」で登録者とコミュニケーションを取ることもできます。

会員登録する


膵(すい)臓がん

この病気のエピソード
母は80歳で膵臓癌が発覚しました。 余命半年と言われながら、 1年1ヶ月も生きることができました。 抗がん剤は、ジェムザールを2クール。 それ以降は癌の治療はせず、 痛みのコントロールを行うのみでした。 それでも、抗がん剤の副作用がなくなり食べられるようになったからなのでしょうか。 体調に波があり、食べられなくなることもありましたが、 緩和ケア科に移ってからは、 ステロイドのおかげで食欲があり、 入院するまできちんと食べられていました。 ここまで生きることができたのは、 やはり食べられたからだと思います。 2015年年明けとともに、血糖値が上がる。 腹痛もあり、近所のかかりつけ医院で検査を受けるが異常なし。 5/1  腹痛が強いらしく、私に病院に連れて行ってほしいと言う。    I病院でCT検査を受け、膵臓が腫れているとの事。 5/7  エコー検査とMRI。    膵臓に腫瘍があると宣告される。    がんセンターへの紹介状を書いていただく。 5/14 がんセンター消化器内科受診。    再度詳しく検査の結果、手術できるかもしれないとの事。 5/20 消化器外科受診    手術できそうだとのことで、それに向けての検査を予約 5/27 夜8時過ぎ、先生から電話。    手術を6/15に行うとの事。    その前に6/1に入院して肝動脈塞栓術を行う。 5/29 仕事中に先生から電話。    話があるのでかぐに来てほしいとの事。    夕方母を連れて病院へ。    院長先生などと再度検討した結果、    小腸への血管の浸潤が、思っている以上に深そうだとの事で、    やはり手術は無理ではないか…    手術をあきらめる。    → 手術ができない理由 6/4  再び消化器内科を受診。    今後の治療についての話。    絶望的な状況でした。 DSC_0808.jpg 6/10 初めての抗がん剤は入院して行う。    3日間入院 6/15 故郷の山形へ弟と3人で旅行。    到着早々、激しい腹痛のため観光どころではなかった。    しかしこれは癌の腹痛ではなく、下剤の飲み方を間違えたためだった。。。    ジェムザールを2クール。    7月下旬まで行う。 7/29 CT検査の結果、効果がなかった事を確認。    TS-1に変えるか、きっぱりやめるか・・・ 8/19 抗がん剤をやめたせいか、食欲が出てきた。    抗がん剤をやめる決意をしたことを先生に伝える。    緩和ケア科を受診する事を希望。 9/9  緩和ケア科受診。    介護認定を受ける事を勧められる。        9月中旬、要介護1の認定が下りる。 10月 緩和ケア科1本にする事を伝える    そうする事で、いざ入院の時にベッドのあきをまたずにすぐに入院できるとの事。    あまり食べられなかったので、デカドロン(ステロイド)を処方される。    デカドロンは、余命3ヶ月と判断された患者に処方されるという事を知っていたのでうろたえる。    のちに看護師さんに聞いた話だと、やはり年内いっぱいと判断されていたらしい。 12月 食欲はかなりある。    しかし下痢が続くようになってきた。    下着を汚すこともありおむつに。。    しゃがんでしまうと立ち上がれなくなる。    バスのステップを上るのがやっと。    私、介護休業をとり休職。 1月  介護休業はとったが、月10日は働いても大丈夫なので、    不足のところを出ていた。    3日、仕事から帰ってくると、母がひどい格好で寝ている。    足は床に着き、体は仰向けでベッドで寝ている状態。    自分で体位を変えることが困難になってきた。    長い時間一人にはできなくなってしまった事を実感する。     痛みが強くなり、あまり食べられなくなってしまった。    体重30キロをきる。    寝ている事が多い。    薬を一部変更。    フェントステープとタペンタがベースで、イーフェンバッカルとオプソがレスキュー薬。    薬が効いて食欲復活。    下痢がひどい。    下旬にCTを撮る。    7月と比べて、腫瘍は4割増し程度大きくなっていた。    が、他転移はなし。    腹膜播種はある。    今後、腹膜播種の影響で、腸に穴が開いたり腹水がたまったりする事があるとの事。 2月  梅を見に、母を森林公園に連れて行く。    まだこのころは杖を突いてなんとか歩けていたが、    園内では車いすをレンタル。 3月  まだ要介護1だったので、自費で車いすをレンタルする。    (4月から要介護2に)    外出は車いすで…    お彼岸に旦那の実家に行き墓参り。    帰ってくると母は一人で風呂に入り、湯船から立ち上がることができずにいた。    もう少し遅かったら危険なことになっていた。    その後は、旦那に風呂に入れたもらう事となった。    訪問入浴を考える。      突然、せん妄が現れる。    病院に行ったことや先生と話したことさえも覚えてなかった。。 4月  訪問入浴と介護タクシーの利用を始める。    痛みも強くなってくる。    家の中ではなんとか伝い歩きできる。      病院の隣は、桜の名所。    まさか桜を見られるとは思っていなかった…    お迎え(介護タクシー)の時間を1時間くらい遅くしてもらい、花見。    たこ焼きを食べる。。       睡眠導入剤を服用しなくても眠れるようになる。    眠っている時間が多くなり、夜も8時ころに寝てしまう。   5月  GW明け。    あまりにも眠っている時間が長く、    トイレに何時間も行かない事が・・・    10日入院。    血液検査の結果、CRPの数値が高い。    アルブミンも減少。   「悪液質」のため、もうあまり長くないと言われる。    入院翌日、母の様子がおかしい。    車いすに乗り、隣の部屋に行ってしまったり、    不思議な風景が見えたと言ったり・・・    せん妄が強くなってきた。    が、入院後1週間くらいから痛みはなくなる。    レスキューのイーフェンを一度も飲まない。    水を飲むとむせるようになる。    デカドロン服用から、同じステロイドのリンデロンの注射に変更。    20日、外出許可をいただき、バラまつりを見に行く。    これが最後の外出となってしまった。    これ以降、体調悪化。    眠っている時間が長くなる。    せん妄のひどい時と正気に戻る時と・・・・    大河ドラマを見ながら、叔母の持って来てくれた沢庵を    私とふたりしてボリボリと食べた。    こんなにしょっぱい物、糖尿が悪化しているのにまずいよね。。。    と言いながら。。。    体が痒くてかきむしる。    痛み止めも点滴となっていたため、かいて点滴がとれてしまう。    痒み止めの注射を練る時に打ってもらう。    私の泊まり込みが始まる。    とうとう歩けなくなる。    トイレはポータブルに。。。     トイレに座ると、便を出し切るまでに1時間かかってしまう。   6月  導尿にしてもらった。    ただしお通じはポータブルトイレで。    点滴も足になり、抜くこともなくなったため、    私はまた通いに。。。    亡くなる1週間くらい前から、あまり食べなくなる。    果物やさっぱりしたものだけ食べると言う感じ。    ほとんど寝たまま。    12日、仕事が不足だったので夕方から出ることに。    昼間病院へ。    昼食後から、息が荒くなる。    血中酸素濃度が93。    酸素マスクをつける。    仕事に行くのをあきらめ、泊まり込みに。。    13日朝、看護師さんに昨夜酸素量を増やしたということを聞く。    容態はかなり悪い。    会いたい人がいるのであれば呼ぶようにと…    尿が出なくなっていたので、    尿の管を抜いてもらった。    脈や心音が弱くなってくる。    担当看護師さんに、今夜持つかどうかと言われ、    夜8時には、叔母、弟夫婦、我が家の家族全員がそろう。    ずっと息が荒い。    肩で息をしている状態。    下顎呼吸も見られる。 14日  母の心臓はやっぱり強い。    チアノーゼが見られるようになってきたが、    あまり容態は変わらない。 15日  危篤状態から3日目の朝。    家族は朝食を終え、それぞれなんとなくぶらぶら。    足を見てみると、紫色。    あまりにも紫色だったのでびっくり。    一生懸命マッサージを行う。    手もさすっていると、突然びくっとなって母は突然目を開け、私を見ている。    でも反応がない。    息をしていない。    「息をして!」と叫んでいると、ちょうど看護師さんがバイタルチェックに・・・    飛んできて声をかける。    母、大きく息をする。    聴診器で心臓の音を聞くが、聴こえないと看護師さん。    おそらく9時40分頃。      先生が見え、臨終の確認を。。。    9時50分臨終。 2015年5月1日に、あまりにも続いている腹痛のため受診してから、 1年1ヶ月。 本当によくがんばった母でした。

患者さんとの関係

子供


治療を受けた病院

埼玉県立がんセンター

【関連のエピソード】
伊奈町の「伊奈病院」を受診。 ここで膵癌が発覚。 この病院でも手術はできるが、 がんセンターーの方が良いでしょうとの事で紹介状を書いていただきました。


会員登録(無料)すると確認できるようになります。

会員登録する