患者さんとの関係
本人
病歴・治療歴
2018年08月:左顎下の腫れで地元の病院を受診する。 生検・造影剤CT等で癌の疑い 。 8月末 PETCTに複数の反応あり。 この時大腸にもPETCTに大きく反応あり。
2018年09月:5日、がんセンターを紹介してもらい受診する。その後 、生検・大腸内視鏡・MRI等受ける 。 大腸内視鏡の検査は異常見られず。 検査の結果、 左扁桃原発中咽頭がん・左右リンパ節複数転移有り・cT2N3bM0・ステージⅣb・浸潤型
2018年09月:30日、 突然 患部より多量出血し、急きょ入院となる。
2018年10月:抗がん剤3クール、放射線35回70Gyの治療開始。
2018年11月: 約2ヶ月の治療を経て退院。その後自宅療養。
2019年01月:MRI検査。左顎下にリンパ節の腫瘍の残りらしいもの有り。 生検をするが、放射線をあてた所が 固くなっていて針が刺さらず、 生検出来ず。
2019年02月:左頚部郭清術で 約2週間の入院。放射線と抗がん剤で消えきらなかった腫瘍の残り(2㎝程)とその周辺のリンパ組織を摘出する。検査の結果、摘出したリンパの腫瘍の残りから がん細胞は検出されず。抗がん剤と放射線がよく効いたと主治医から。
2019年04月:自宅療養後、仕事復帰。今後は経過観察となり、月1回の診察と定期的なMRI撮影(造影剤アレルギーのためCTでなくMRI)
【関連のエピソード】
家から病院までは遠く電車で片道3時間半、車で高速を使って1時間半程かかります。
1度目の抗がん剤と2度目の抗がん剤の間、少し体が動けるようになると、病棟での担当医は外泊を進めてくれました。
遠いからと迷っていると先生は
「これから治療がどんどん辛くなるから、中には辛くて最後まで続けられない人もいるから、家へ帰って自分の帰る場所を確めて来るといい。必ず治療をやり遂げて自分はここへ戻って来るんだと、確認してくるためにも家へ行っておいで」と言ってくれました。
治療が進むにつれ、必ず家へ帰る、というこの言葉が大きな支えになりました。
入院中、ほとんど毎日病室に顔を出してくれた担当医、感謝しています。
リハビリ・復帰歴
2019年04月:職場復帰
2019年06月:MRI 経過観察、異常なし。
2019年12月:MRI 経過観察、異常なし。
2020年05月:頭頚部MRIは異常みられず 胸部レントゲン再検査となる。
2020年07月:CTにて胸部再検査、異常みられず。引き続き3ヶ月毎の経過観察。
2020年11月:MRI 経過観察 異常なし。
2021年06月:MRI 経過観察 異常なし。
2021年12月:MRI 経過観察 異常なし。今後、晩期後遺症でもある甲状腺機能も観察していくとの事。
2022年03月:放射線&抗がん剤治療から3年3ヶ月、頚部郭清術から3年経過。甲状腺機能異常なし。引き続き3ヶ月毎の経過観察。
2022年06月:MRI、CT共に経過観察、異常なし。
2022年09月:定期受診、触診にて頚部のMRI検査となる。MRI検査施行、特に問題ないとの診断で、ほっとする。引き続き3ヶ月毎の経過観察。
2022年12月:経過観察、異常なし。
2023年03月:MRI、CT共に異常なし。3ヶ月毎の経過観察は変わらず継続。
【関連のエピソード】
放射線・抗がん剤から1年2ヶ月、頚部郭清術から1年経ちます。現在の状態について書き留めます。
味覚については初めの3ヶ月位はほとんど味覚がない状態でした。このまま感覚が戻らないのでは…と思う程、何を食べても味は感じられませんでした。ただ出しやみそ汁の味は何となくわかる感じはありました。4ヶ月、5ヶ月と過ぎる内に少しずつ、甘い辛いの差はありますが戻っていきました。現在は病気前の味覚を10とすると8くらいは戻っていると思います。辛いものは初めは全くダメで、甘口カレーも食べれませんでした。今は中辛位までは何とか食べれるようになりました。唐辛子系は1番ダメです。(少しずつ食べれるようになってはいますが) 6ヶ月経った頃に1度獅子唐の天ぷらを知らずに食べてしまい、口内がヒリヒリで激痛になり30分うがいし続けても痛みが取れませんでした。
唾液ですが、今8割程は戻っていると思いますが、いつもその状態という訳でなく、時折口内に全く水分のない状態になることもあります。そうした時はひたすらお茶や水を口に含み、やり過ごしています。退院して3ヶ月位は唾液がなく、寝る時も辛くて、気休めにしかなりませんが保湿マスクを付け寝ていました。唾液に関してはこの3~4ヶ月過ぎるまでが1番辛い時だったと思います。退院してからずっと今も、寝る時は水分を枕元に置いて寝ています。最初3ヶ月位は夜中に目が覚め、口内がカラカラで水分を含まないと眠れませんでした。
1年過ぎた今は、それもだいぶ良くなっています。
耳鳴りですが、例えるとセミが集団でずっと鳴き続けているという感じです。初めは大音量で聞こえていた耳鳴りでしたが、それもやはり気がついてみると、初めの頃より少しずつボリュームが下がってきている感じです。
他に顎が疲れやすいというのもあります。頚部郭清術で、喉の辺り、左側の食べ物が通る所に段が残っていて、飲み込んだ物がどうしても一旦そこで引っかかってしまいます。
飲み込み辛いため、よく噛んで食べるのですが、顎がすぐ疲れてしまいます。放射線科で相談したところ、それでも顎を使って鍛えて下さいと言われました。
仕事柄、高齢者向けのリハビリ体操というのを仕事の中で行うのですが、その中のごっくん体操という、口や舌の体操が自分にもリハビリになりとても役に立ったと思います。内容は、
あっかんべーと舌を出す(5回)
あっぷっぷと頬っぺたを膨らます(5回)
舌を左右に動かす(10回)
舌を縦に丸める(5回)
大きく口を開けパ・タ・カ・ラと発声する→パ・パ・パ…と各10回ずつ
このおかげもあり、口の開きも悪かったのですが今ではほぼ問題ありません。
あと歯についてですが、治療が始まる前に歯に関しての注意や顎骨壊死について聞いていたため、口腔ケアは余程注意してやってきましたが、それでも放射線を受けた影響は大きいと実感しています。定期的な歯科受診とケアは欠かせません。入院中、看護師さんが、ConCoolFというマウスウォッシュを勧めてくれ、歯磨き後はずっとそれを使っています
髪の毛ですが、放射線が当たった後頭部の耳から下は見事に髪がなくなりました。3ヶ月過ぎ4ヶ月位になるとしっかりと生えてきました。生えてきた髪はうねりがあるくせ毛です。
頚部郭清術後の首の状態ですが、手術は左頚部で、左耳の後ろから鎖骨の中心に向かって斜めに約18cmの術跡でした。
術後2ヶ月頃の術跡の写真が去年の4月の投稿に載せてありますので、参考になればと思います。
手術直後、瞬きは出来ました。口は、唇は動きましたが口は開き方が少く、ペットボトルの口をやっと咥えれる程度でした。
手術の次の日に、恐る恐る手を動かしてみましたが、前からも横からも何とかギリギリ挙げる事が出来ました。が、肩に力が入らないため持続は出来ませんでした。
首の動きですが、術後すぐは首が左右に動きませんでした。1番困ったのは車の運転でした。左右を見る時は上半身ごと動かしていました。もちろん後ろを振り返る事も出来ないので、体ごと振り返る、という感じでした。
上を向く事も出来なかったので、最初の内は歯磨き後の嗽に困りました。
今現在は、最初より良くなったものの、やはり左肩にはしっかり力が入りません。
首の可動域も少しずつ広がっていますが、まだ左右真横、真上には向けません。
また起き上がる時、首に力を入れると術跡のヒキツリが痛く、以前のように、そのまま頭を首で持ち上げて起きる事は出来ないので、必ず手で頭を支えて起きます。
この首のヒキツリはほとんど変わりません。リンパ節をごっそり取ったので、左顎下は右に比べ触ると少し抉れたようになっています。
常に首の左から強く掴まれているような、首を絞められているような感覚があります。
また術跡の首の堅さも、鉄板が入ってるようと表現する人がいますが、私も触ると全く同じような感覚です。
普通に動けて働いていると、痛み等の感覚は人にはなかなか理解してもらえません。
この強い首のヒキツリ感に、気が滅入ったり落ち込んだりもします。が、
今は、病気前とほぼ変わらない生活を送れている、という事に感謝しています。
治療を受けた病院
愛知県がんセンター