この病気のエピソード
毎年受けていた市の健康診断で要精密検査になり、大腸内視鏡検査を受け、ガンが発覚
全く自覚症状はなしでした。精密検査を受けた後に転院した病院での検査ではステージ2〜3、術後に言われたのは、ステージ1くらいかもしれないでしたが、すぐに肝臓転移があったので、ステージ4となりました。
肝臓の手術前の抗がん剤治療中は、仕事量を減らし続けてましたが、黄疸やだるさ、気持ち悪さとの戦いでした。
手術後のゼロックス療法は通院治療でしたが、仕事に関してはこの期間は諦めるように言われ、確かに、副作用は辛いものでした。
点滴中も痛みに耐えながらでしたが、病院を出た途端外気に触れるだけで、激しい痛みが手に走るため、手袋は手放せませんでした。
点滴後に、会計を待ったり、経口投与の抗がん剤の薬や副作用を抑える薬をもらうために薬局で待つ間にも痛みが増し、冬場には家に帰り着く時には、手足が全部つることもしばしば。
特に、辛かったのは、点滴をした当日から2、3日続く首を中心とした顔周辺の痛みです。
ものを飲み込もうとすると、締め付けられるような激痛。あまりの痛みに涙が出ると、目尻にも激痛で涙を流すことすらできませんでした。
手足症候群による副作用として、金属製のものは触らないこと、治療前から保湿のクリームを常に塗ること、家事は極力避けることなどの注意は聞いていましたが、この喉を締め付けられる痛みの説明はなかったので、とても困惑しましたが、治療の際にもらった手引きを読むと、小さな字で「稀に首を絞められるような痛みが出る」とあり、薬の副作用とわかりました。
私は気持ち悪さはあっても3年の抗がん剤治療中に実際に吐いたことは一度もありませんでしたが、この痛みには本当に悩まされました。
点滴の抗がん剤を終えて、経口投与だけになった時には、この喉の痛みはなくなりましたが、手足症候群のしびれや痛み、皮がむけたり、爪がもろくなるなどの症状はすべての抗がん剤を終えた後も治るまでには、1年くらいかかりました。
末端神経のしびれが残ってしまうことがあることも、後から知りました。これは、2年ほどで治りました。
手の皮めくれは水仕事をしてしまうと悪化するため、きをつけましたが、足の方はひどく、歩けない時もありました。
足裏が火傷状態で水ぶくれが全体にでき、皮がめくれてしまうことが何度もありました。これには、靴の中敷にムートンのものを敷き、足を温めることで少し和らぎました。
病歴・治療歴
2008年11月:健康診断で大腸ガン発覚 ガン拠点病院を勧められる
2009年01月:大腸(下行結腸)ガン 腹腔鏡手術
2009年10月:経口投与(TSー1)で抗がん剤治療始まる
2009年10月:肝臓への転移がわかる
2010年04月:肝臓手術の予定だったが、検査でガンの位置が発見できず手術延期、抗がん剤治療継続
2010年10月:CT、エコー、PETでガン腫瘍の位置が一致 腹腔鏡による肝臓癌手術
2010年12月:ゼロックス療法による抗がん剤開始 通院による点滴と経口投与
2011年10月:抗がん剤点滴中にアレルギー発疹が出るようになり、治療中止
2011年10月:経口投与のみで治療再開
2011年11月:新しい抗がん剤が合わず、投与中の2週間だるさから起き上がれなくなる
2011年11月:ゼローダに変更
2011年12月:抗がん剤が合わなかったこと、仕事復帰の不安からうつ気味になる
2012年01月:メンタル外来受診 初診が混んでいて、受診まで一月かかり、その間のセルフケアでかなり回復し、メンタルは問題無しとの受診結果
2012年05月:抗がん剤治療終了 3ヶ月に一度の血液検査、その他、エコー検査、CT、胃カメラ、大腸カメラで経過観察
2015年11月:全身のCT、PET検査 大腸ガン完治
【関連のエピソード】
抗がん剤治療中に東日本大震災があり、私が通院治療をしていた病院は浦安だったため、病院も被災。ライフラインも止まり、病院へ行かれずに抗がん剤治療が受けられないことがありました。その後も、病院周辺は被害が大きく、不安な気持ちで通院していました。
リハビリ・復帰歴
2014年01月:少しづつ講演の仕事を開始
2014年04月:地元に病気、介護、子育て終わりなど様々な事情のある大人が楽しめる教室を開く
2015年07月:実用書「働く女性のためのガン入院、治療生活便利帳(講談社)」出版
治療を受けた病院
順天堂大学付属浦安病院