この病気のエピソード
医師から結果を聴く前は、根拠なく楽観的に考えていたが、血液検査、骨髄検査ことごとく、予想外の悪い結果。聞かされたその場では、冷静さを保ったものの、夜帰り道で涙しました、
患者さんとの関係
本人
病歴・治療歴
2019年09月:たまたま献血をしたところ、検査結果の総蛋白が9.2と高めに。念のため、クリニック、大学病院と順次受診
2019年11月:無症候性骨髄腫(ややMGUS寄り)との診断。
2019年12月:CT画像で頸椎(C2)胸椎(T6,9,11,12)と腰椎(L1)に中抜け,左骨盤骨内組織の溶解が見つかったことを受けて、多発性骨髄腫の正式診断を受ける。
2019年12月:VRD療法(ベルケイド、レブラミド、ダラザレックス)との方針を示される。RD2剤の服薬を先行。併せてゾメタ(骨吸収抑制剤)の点滴を受ける。
2020年01月:Vの投薬開始。Vは月1回,Rは5カプセル/日×3週+休薬1週
2020年03月:VRD継続。幸い、目立った副作用がないため、日常生活に支障なし。IgGが大きく減少。
2020年05月:VRD継続。新型コロナの問題を踏まえ、自家移植のうち1週(採取)のみ予定どおり実施し、残る4週(移植)は延期との方針を伝えられる。
2020年06月:末梢造血幹細胞を採取するため、入院。入院7日間の予定が、不作だったため9日まで延長。移植のための入院は同月29日に
2020年07月:自家移植後退院。食欲の減退が著しく、全身脱毛。数十メートル歩くと息が切れるなど,思っていた以上に体力の低下を実感。
2020年09月:軽くテニスの壁打ちができる程度に、体力は回復。IgGは入院前より微増,遊離軽鎖比は1近くに。
2020年10月:DRd療法(ダラツムマブ、レブラミド、ダラザレックス)開始。Dは月1。発疹が出たためRは3カプセル/日×3週+休薬1週
2020年11月:DRd継続。初めて遊離軽鎖比が1.0に。
2021年07月:DRd継続。休みながらもテニスを1時間程度,自由形を500m超泳げる状態。
2021年10月:我慢していたスキューバダイビング(2本だけ)。
2022年01月:DRd継続。IgGは低値安定,遊離軽鎖比は1.0未満。CTの画像上胸椎等の穿孔の大きさは変わらずも白く縁取りするように骨化。
2022年03月:Kd療法(カイプロリス+)に変更。Kは週1回×3週+1週休薬。骨髄検査の結果,漸く,定義上の微細残存病変が陰性に(厳密には僅かな骨髄腫細胞が検出)。
2022年08月:東伊豆で,スキューバダイビング(2本×2日)。ヘモグロビンは12.1くらいと若干貧血気味。
2022年09月:IsaPd療法(イサツキシマブ、ポマリスト)に変更。Isaは隔週1回の予定。
2022年10月:IsaPd療法。Isa投与後1週間弱微熱や倦怠感などが発生。
【関連のエピソード】
・診断を受けてから、息切れ、脈拍の増加、肋骨の軋み、体の痛み全てが症状ではないかと疑心暗鬼になり、不安が不安を呼ぶ悪循環に。その後治療を開始したことで精神的に安定。担当の先生からの説明や定期的な血液検査の結果などのお蔭で比較的冷静に捉えられるように。
・一時期,自家移植のタイミングについて,担当の先生からの指示とマニュアル(知り合いから入手した医師向けの治療マニュアル)の内容とで異なり,「担当の先生がサイクル(クール)の数え方を間違えたのではないか。」と疑心暗鬼になってしまいました。ですが,よく考えたら,担当の先生の経験等を踏まえればマニュアルには書けない職人的な判断や勘があるだろうし,またカンファレンスをやってくれているようなので外の人の目によるチェックも入っているからケアレスミスは少ないだろうと考え,反省しました。担当の先生を信じて,乗り越えていこうと思います。
治療を受けた病院
日本赤十字社医療センター
病院に対する満足度
満足
【関連のエピソード】
●担当の先生から「完治を目指していきましょう」などと前向きな言葉を頂けるので、悲観的な私としては本当に勇気づけられております。
●病棟の看護師さんも、多発性骨髄腫の患者を見慣れているようで、「(自家移植の際の)大量化学療法の副作用は,口腔,咽頭などに出ることが多いです」「これらの症状を緩和するため、氷を口に含んだりする方がいますよ。」など豆知識を教えてくれます。
●自家移植のための幹細胞採取の際,初日の採取量が少なかったのですが,諦めずに異例の回数を重ねて採取を続行してくれました。
●治療マニュアルに縛られず、状態を見てかなり柔軟にかつ積極的な治療をしてくれます。
●将来の治療方針の予定や新薬承認の話を時々してくださるので、希望の糧になります。
●骨髄穿刺の検査結果が1週間で出てきました(一部BMLへの外注のようですが,発注件数が多いため先方が慣れているかも知れません)