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セドナ

家族のメンバー

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【運営】非営利NPO法人5years
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【生まれた年】1971年

【都道府県】兵庫県

【職業】入院前に退職

【自己紹介】

2019年12月に胃がんステージ4を告知された妻の夫(50代)です。
就職活動中の一人娘(現在、大学生3年)が居ます。(告知当時、現在は就職し東京で一人暮らし)
患者本人に胃がんの自覚症状は無く、脇腹痛で受診したら貧血が深刻との事で検査すると胃がんが見つかりました。
(腹膜転移による尿管狭窄で水腎症になり脇腹痛。胃壁からの出血による貧血。ただし血便等は無かったらしい。)
胃がんの早期発見が難しい現実を知りました。定期的な内視鏡検査でしか発見は難しそうです。
3型胃がん、HER2陽性、非MSI-Highとまで、わかっています。(HER2は陰性の結果も存在しているので不確実)
主治医の説明では、腫瘍マーカーには表れないタイプ(体質)らしく、初診時以来、ずっと一桁台で安定しています。

1年10か月近く化学療法を続けていますが、そろそろ使える薬も無くなってきました。(あとはオプジーボのみ)
高熱と痛みに見舞われる事が多いですが、毎回、尿管カテーテルの詰まりによる腎盂腎炎が原因になっています。

2022年1月、がんセンターで化学療法を開始してから、25か月で治療不能の判断が下されました。
今後は、残された人生を自宅で家族とともに過ごすことを最優先に考え、在宅緩和ケアの道を選びました。

2022年3月9日 23:15 自宅にて永眠しました。応援ありがとうございました。

2019.12.11 初診(告知)2019.12.17 入院 ~ 12.28 退院
2019.12.19 XELOX療法+ハーセプチン開始
2020.01.08 2クール目(通院)
2020.01.29 3クール目(通院)
2020.02.12 胃カメラ、造影剤CT
2020.02.19 4クール目(通院)
2020.03.10 尿管カテーテル交換(初診当日に片側尿管に施術)
2020.03.11 5クール目(通院)
2020.03.31 発熱(原因不明)により休薬延長(感染症では無い)
2020.04.06 好中球減少により休薬延長(休薬しても回復しない為)
2020.04.07 胃カメラ、造影剤CT(癌の進行が疑われる為)
2020.04.13 6クール目(通院)(癌は進行していないと思われる。)
2020.05.13 7クール目(通院)(2週間休薬するも貧血改善せず、オキサリを減薬投与)
2020.05.19 7クール目に入ったとたん、体調が悪化し改善しないので連絡した結果、入院して様子見となる。(5日間の入院)
2020.06.03 7クール目中止休薬し、8クール目は、オキサリ抜きで治療続行となる。(ハーセプチン+ゼローダ)
2020.06.09 尿管カテーテル交換(帰宅後、39度以上の発熱が数日続いたが解熱剤で回復)
2020.06.18 胃カメラ、造影剤CT(定期検査)
2020.06.24 9クール目(通院)検査結果説明の印象からは悪化はしてないが、懸念はいくつかありそう。
2020.07.15 10クール目(通院)オキサリ抜きにより体調は安定し貧血も改善しつつある。腎臓、肝臓の悪化は許容範囲。
2020.08.05 11クール目(通院)鉄剤抜きでも貧血無し!腎臓、肝臓も許容範囲内。痺れは改善せず。
2020.08.17 胃カメラ、造影剤CT(定期検査)
2020.08.26 12クール目(通院)検査結果は、憎悪無し。怪しい箇所(転移)はあるので経過を見ましょうとのこと。治療継続。
2020.08.31 脇腹痛(初診時とは反対側)で緊急検査(採血、採尿、レントゲン、エコー、CT)両側とも尿管カテーテルとなる。
2020.09.16 13クール目(通院)採尿、採血、心臓エコー、診察。先月末から血尿が続いているがヘモ値は維持している。その他数値も許容範囲内。2次治療へ移行するのがセオリーらしいが、薬が合わない可能性大。3次治療のオプジーボか、現状の治療を続行するかで、本人が続行を希望した。2週間後にPET-CTで転移の状況を検査することに。
2020.10.01 PET-CT検査のみ(結果は後日)
2020.10.12 14クール目(通院)採尿、採血、診察。PET-CTでは、初診時からあった集積箇所以外は見つからず。血尿は少し改善。旅行に行けるくらい体調は良いので、このまま治療を継続することに。
2020.10.19 胃カメラ、造影剤CT(定期検査)
2020.11.02 15クール目(通院)検査結果説明では、腹水が少し増えている。ただ血液検査も本人の体調も悪くは無い。次の検査で腹水が更に増えていたら2次治療へ切り替える。
2020.11.25 16クール目(通院)血液検査と問診。結果も悪くなく、体調も変化なしなので、ハーセプチン+ゼローダを継続。血尿は止まったようである。
2020.12.14 胃カメラ、造影剤CT(定期検査)15日 カテーテル交換 16日 心臓エコー、問診
2020.12.16 1次治療終了(オキサリは7月に中止済み、ハーセプチンの副作用で心臓が弱ってきた。ゼローダだけの服用は効き目が弱い。)各種検査結果は良好で腹水も増えていなかった。来年1月中旬まで治療薬無しで過ごしてみて、それから2次治療へ変更することにした。
2020.12.18 17日ごろから腰痛(腎臓痛?)と発熱(38度越え)になる。鎮痛剤と解熱剤で経過観察。
2021.01.12 2次治療の為、入院。13日からサイラムザとパクリタキセルの点滴開始。15日あたりから発熱でしんどいらしい。
2021.01.21 退院。副作用も軽く帰宅中にマクドで食べて、スーパーで買い物してと元気な様子。
2021.01.27 2次治療 1クール目 1/13(入院)1/20(入院)1/27(通院)点滴して1日ほど経つと必ず40度近い発熱が数日続く。(原因不明)
2021.02.08 2次治療 2クール目 血液検査結果は、まずまず良かった。発熱の原因は不明のままで、解熱剤でガマンするしかないみたい。
2021.02.15 心臓エコー、胃カメラ、造影剤CT(定期検査)
2021.02.22 結果説明では、癌自体は悪化している所は見つからず。左腎臓に影があるのでエコー検査。発熱の原因か?=>泌尿器科受診へ
2021.02.24 泌尿器科では、腎臓の炎症かもしれないが抗がん剤続けてるので仕方ないレベルということで様子見となる。
2021.03.08 2次治療 3クール目 血液検査も許容範囲の結果だったのでサイラムザとパクリタキセル(減薬)を点滴。
2021.03.15 パクリタキセルのみ 03.22 サイラムザのみ(パクリタキセルはスキップ)
2021.04.05 2次治療 4クール目 血液検査も合格し、サイラムザとパクリタキセル(減薬)を点滴。
2021.04.12 パクリタキセルのみ 04.19 サイラムザのみ(白血球、好中球数足りず、パクリタキセルはスキップ)
2021.04.20 尿管カテーテル交換(左右)
2021.05.10 2次治療 5クール目 3週間ぶりの点滴。血液検査も問題無し。サイラムザとパクリタキセル(減薬)を点滴。
2021.05.24 骨髄抑制はイマイチ回復していなかったが、サイラムザとパクリタキセル(減薬)を点滴。
2021.06.03 今回は、点滴して翌々日から発熱が始まり、今現在までほとんど下がらないという初めての症状。ただし解熱剤は効く。
2021.06.07 2次治療 6クール目 2週間経っても解熱せず体調もすぐれないので問診のみの休薬。血液検査で若干の感染症の形跡あり。
2021.06.09 発熱が収まらず脇腹も痛いらしいので病院へ。PCRは陰性、エコー検査で腎臓の腫れ確認後、尿管カテーテルを交換した。
2021.06.11 胃カメラ、造影剤CT(定期検査)発熱と体調は改善方向へ。(腫瘍の縮退による)胃の閉塞が進行との事
2021.06.14 体調の回復は遅く点滴治療は難しいらしい。胃の閉塞も深刻な状態になっており手術を急いで体調が戻れば治療再開との事。
2021.06.17 入院(手術は週明け月曜)し、鼻から管を入れて胃の中を吸い出す事になったが、あまりの激痛でギブアップ。あと、脾臓が大きくなっていると言われた。
2021.06.21 胃と小腸のバイパス手術終了(腹膜播種は、まだ酷い状態にはなっていないとの報告)
2021.07.03 退院(術前よりも空腹感が得られるようなり食欲旺盛になったと本人も喜んでいる。)
2021.07.07 問診(血液検査と今後の治療方針についての説明など)貧血と栄養状態は少し改善しているので来週からエンハーツを投薬。
2021.07.14 念の為に入院してエンハーツ治療を開始。入院前のCTにて肝臓に転移の疑いありとのこと。
2021.07.20 尿管カテーテル交換(左右)短期間で詰まるようになってきたので詰まりにくいタイプに変更。
2021.07.23 退院(回復した訳では無いが、病院食を受け付けなくなったので自宅の方がマシと本人が退院を決めた。)
2021.08.04 エンハーツ2回目(まあ、なんとか投薬可能なレベルまで回復した。)
2021.08.25 エンハーツ3回目(きつい副作用が2週間続いたので20%減薬で様子見。胃カメラ、CTの結果は特に悪化無しとの事)
2021.09.29 エンハーツ4回目(休薬延長したがヘモ値7台だったので更に減薬投与となる。1週間前にワクチン1回目を注射)
2021.10.03 腎臓が痛みだす。(尿管カテーテルの詰まり?)熱も38度台で食事も摂れず。
2021.10.04 左腎の腎盂腎炎であろうとの所見で入院(体力が落ちており、副作用も重なってくるので入院した方が良いとの事)
2021.10.06 交換してもすぐ詰まるだろうが、尿管カテーテルを交換し、少し痛みは改善した。
2021.10.11 胃カメラ(入院ついでに前倒しで検査)胃内は著変なしとの事。12日 退院
2021.10.20 血液検査にてヘモ値不足(回復が良くない)更に3週間ほど休薬し、オプジーボへ切り替える予定となる。
2021.11.10 ヘモ値、腹水は、あまり改善せず。これ以上休薬しても改善しない可能性が高く、少し無理してオプジーボを点滴した。
2021.11.24 ヘモ値、腹水、改善せず、赤血球もかなり減少。肝臓系の数値も悪化しておりオプジーボもスキップとなった。
2021.12.01 肝臓系の数値が改善しておらず胆管にステントを入れる手術が必要になった。(週明け入院し内視鏡手術)
2021.12.06 CTにより十二指腸狭窄が濃厚と判断され、まずは十二指腸にステントを入れた。(現状、それしか出来ないとの事)
2021.12.10 退院(術後、血液検査の結果が改善しはじめたので十二指腸の詰まりだけが原因だったと判断された。)
2021.12.13 緊急手術(11日から腹痛となり週明けを待ち診てもらったら腸閉塞になっていた。破裂する寸前なので緊急手術でストーマ造設となる。)
2021.12.20 昨日から発熱が酷くなり検査の結果、左腎の腎盂腎炎と判断され尿管カテーテルを交換した。
2021.12.28 退院(腹水でお腹がパンパンになったので27日に穿刺し3.5L抜く、体調が改善したことで退院が許可された。)
2022.01.04 診察(3日から発熱、血液検査は炎症と肝臓の悪化を示す。もう少し様子を見て状態が改善しないようなら再入院)
2022.01.12 診察(発熱は治まったが体調は良くない。血液検査では肝臓系がかなりの異常値を示す。急遽CT検査し胆管狭窄が確定的で翌日手術にトライ)
2022.01.13 手術(胆管にステント留置を試みるも、バイパスした小腸からの経路しか無く処置不能だった。)緩和ケアしか出来なくなった。
2022.01.19 退院(素人目にも黄疸が出ているのがわかる。)がんセンターを卒業し、自宅近くの訪問医に在宅緩和ケアをお願いする事になった。
2022.01.24 自宅にて腹腔穿刺(3L抜く、薄いビール色)
2022.02.08 自宅にて腹腔穿刺(1.5L抜く、薄いコーラ色、粘性あり)
2022.02.14 自宅にて腹腔穿刺(2L抜く、コーラ色、出血は少なかった)
2022.02.21 自宅にて腹腔穿刺(2.2L抜く、コーラ色)数日前から右手が不自由に、今日は自力で立ち上がれない。常に腕が震えている。
2022.02.22 がんセンターで尿管カテーテル交換の予定だったが、病院往復の体力が無いと判断しキャンセルした。夕方、キッチンで転倒したが怪我は無かった。夜、洗髪したら気分が悪くなり意識が無くなる。15分くらい抱きかかえていたところ、なんとか戻った。
2022.02.23 朝食を食べようとしたら顎が動かないと言う。しばらくしたら治ったが、錠剤を飲むのがやっとという感じ。訪問看護師さんに足のマッサージをしてもらった。
2022.02.25 今朝は一人でトイレまで行けたようだ。でも、もう意識は朦朧としていて会話もかみ合わない。看護師さんの所見だが、息が浅くなってきているので、もしかしたら数日中に息が止まるかもしれないらしい。
2022.02.28 自宅にて腹腔穿刺(2.5L抜く、薄いコーラ色、粘性が低くなり尿の色も赤味が抜けて正常な感じになってきた。)
2022.03.02 呼吸は30秒に1回くらいに。ほとんど生気は感じられなくなっている。それでも話しかければ反応は返ってくる。
2022.03.06 イチゴやリンゴを口に運んでやると、おいしそうに食べる。しかし呼び掛けに反応する事は、ほぼ無い状態。処方された錠剤も飲めそうにない。
2022.03.07 肝性脳症の末期となり、錠剤の処方は終了、腹水を抜くのもリスクの方が高いと判断される。あとはオプソのみで緩和を続けるのみとなる。
2022.03.08 昨日から便が全く排出されなくなった。尿は出ている。固形物を食べさせることはやめておくことにする。氷を口に入れるとガリガリと嚙み砕く力はある。
2022.03.09 昨晩から、うーんうーんと言いながら息をするようになる。お腹を指圧しながら朝を迎えたら便が出ていた。看護師さんが来る昼過ぎにはストマが満タンに。血圧を測ると40台に低下していた。結局、筋弛緩状態で便が出るようになっただけだった。いよいよカウントダウンが始まった。
2022.03.09 23:15 娘の腕に抱かれた状態で永眠しました。

【ご登録時の状況】

告知から2ヶ月経過し、妻の体調もひとまず落ち着いたところで記録を残していきたいと思い登録しました。
ネットを検索しても、悲しいストーリばかりがヒットします。
ここでは、生き延びている方々の情報を知りたいし、教えてもらいたいと思っています。
そしていつか、不安でいっぱいの人達に、勇気を与えられる側の体験者の一人になりたいです。

【思うこと、考えること】

運命には逆らえないけど、出来ることはあるはず。
主治医と患者の信頼関係はとても大切ですね。だけど、盲目的に治療を任せてしまうのは危険な気がしています。
医師も人間ですから、告知内容や治療方針の判断が必ずしも患者にとってベストではない側面もあるだろうなと思ってます。
夫としては、なるべく客観的に判断できるように気を付けたいと思っています。

【同じような境遇になってしまった方々に伝えたい事】

妻が最後に退院してから息を引き取るまでの約1か月半を一人娘と共に自宅で介護しました。
介護する側も病んでしまうくらい過酷な経験でしたが、それでも可能ならホスピスよりも自宅で最後まで寄り添うことをお勧めしたいです。
ただし、最後までホスピスを利用する可能性は残しておくべきだとも思います。

そして一番伝えたい事は...

緩和ケアの最終段階(医療用麻薬の量を増やす段階)では、痛みと苦しみの緩和と引き換えに本人との意思疎通が難しくなっていきます。
そうなる前に、お互いの「伝えたい思い」を、もうこれ以上無いと思えるくらい交わしておくべきです。
死ぬのを前提にした会話になるので、なかなか難しい事なのですが、それが安らかな最後を迎える為に重要だと思いました。

【その他】

[血液型] A(患者本人)

[星座] おうし座(患者本人)

[趣味・特技] 大食い番組を見る事(患者本人)

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胃がん (尿管狭窄(片側)から腹膜転移と診断。胃壁からの出血による貧血らしい。入院前のPET-CTでは明確な転移は見つかっていないとの事。)

この病気のエピソード
(2019/11/25)脇腹痛で眠れない為、個人病院で診察→血液検査の結果、貧血が酷いので総合病院を紹介 (2019/11/26-29)総合病院にて、CT、胃カメラ (2019/12/06)胃がん&手術不可の告知→がんセンターでの治療を申し入れる (2019/12/11)初診にてステージ4の告知と入院予約、腹水(少)足のむくみ改善を狙い尿管カテーテル留置 (2019/12/13-16)CT、胃カメラ、PET-CT等 (2019/12/17)入院(輸血x1) (2019/12/19)1次治療開始(ゼロックス療法+ハーセプチン) (2019/12/26)輸血x2(自宅で正月を越せるように) (2019/12/28)退院(主治医から、最後の正月になりますと言われる) 正月を自宅で過ごしているうちに、体調が良くなり、以降は通院治療(3週間に一回)となる。 (2020/07/15)10クール目でオキサリプラチンは中止(痺れの副作用が限界と判断) (2020/08/31)もう片方の腎臓も水腎症になってきたので、尿管カテーテル留置となる。 (2020/12/16)ハーセプチンによる心臓の機能低下も出てきたので1次治療終了とする。(16クールで終了) (2021/01/13)2次治療開始(サイラムザ+パクリタキセル)12日から21日まで入院。 (2021/06/7)5/24の2次治療5クール目の点滴以降、尿管カテーテルの詰まりによる水腎症で2週間発熱が続く。体調悪化で治療ストップ。 (2021/06/17)入院(胃と小腸のバイパス手術のため)21日 手術(腹膜播種はひどく無かったので予定通り手術できたとの事) (2021/07/03)退院(帰宅中にフィレオフィッシュを食べた) (2021/07/14)入院(エンハーツ初回治療の為)CTの結果、肝臓に転移している可能性が出てきた。 (2021/07/23)退院(かなり痩せた状態のまま) (2021/08/04)エンハーツ2回目 きつい吐き気の副作用が2週間続いた為、体力が、さらに低下。 (2021/08/25)エンハーツ3回目(20%減薬) CTの結果、肝臓の影が無くなったので治療効果有りと思われる。 (2021/09/29)エンハーツ4回目(更に減薬)長めの休薬期間を取ったが、貧血が改善せず。来月の胃カメラで状態を要確認。 (2021/10/04)入院(発熱と脇腹痛の為)5日 左尿管カテーテル交換にて症状は改善 11日 胃カメラでは著変無し。 (2021/10/12)退院(発熱、痛み、炎症反応無し) (2021/11/10)オプジーボ1回目(腹水、ヘモ値は良くない状態だが強行) (2021/11/24)オプジーボ延期(腹水は少しはマシ、ヘモグロビン、赤血球が減少、肝臓の悪化を疑い緊急でエコー検査するが異常見つからず) (2021/12/01)肝臓の悪化は改善しておらず、癌治療どころでは無い段階となる。胆管にステントを留置する手術を受けることになる。 (2021/12/06)手術前のCT検査にて十二指腸狭窄が判明。胆管までは内視鏡は届かず、十二指腸にステント留置。これで改善すれば退院可能との事。 (2021/12/10)退院(十二指腸の詰まりが改善され、発熱も収まり血液検査の結果も良くなってきた。体調も良くなったので退院許可が出た。) (2021/12/14)退院したのも束の間、翌日には腹痛が始まる。腹膜に転移した癌により腸閉塞に。苦しみから解放する為に緊急手術で人工肛門を造設するしか無かった。 (2021/12/28)退院(腹水3.5Lを抜きアルブミンを点滴、抗生剤は点滴から錠剤へ切り替え) (2022/01/12)約2週間、家族揃って自宅で年末年始を過ごせ、初詣にも行けた。しかし検査結果は、胆管の詰まりによる肝臓の悪化。 (2022/01/13)胆管にステント留置を試みるも、胃の閉塞、十二指腸のステントでアクセス不能だった。がんセンターでは、これ以上の治療は出来ないとの事。 (2022/01/19)退院(がんセンターを卒業し、在宅緩和ケアを受けることにする。) (2022/03/09)自宅にて永眠

患者さんとの関係

配偶者

【関連のエピソード】
26年前(告知当時)、セドナで結婚式を挙げました。 漠然といつか再訪したい程度に思っていましたが、告知を受けた今は、家族でセドナ再訪が現実の目標となりました。 ところが、コロナ騒ぎによって健常者さえも渡米できなくなってしまうとは...ほんと、何が起こるか予測不能な世の中だ。 化学療法治療を開始してから25か月、緩和ケアしか出来なくなったので、一人娘と夫の二人で妻の在宅介護をしました。 そして約1か月半...娘に抱かれた状態で幸せに息を引き取りました。


病歴・治療歴

2019年11月:25日 脇腹痛で寝れない為、クリニック(内科)で受診。結石が疑われるも、貧血がひどいので総合病院を紹介された。

2019年11月:26日 総合病院でCT、27日:造影剤CT、29日:胃カメラ、1週間後、胃がん&手術不可と説明される。親族と相談後、がんセンターでの治療を希望した。

2019年12月:(この期間、利尿剤にて足のむくみは改善)

2019年12月:11日 がんセンター初診、造影剤CT等、胃がんステージ4、腹膜転移による尿管狭窄、無治療だと余命3ヶ月、化学療法で14か月を目標と告げられる。最短での入院を予約し、当日中に尿管カテーテル留置まで完了となる。

2020年12月:13日 胃カメラ、16日 PET-CT

2019年12月:17日 入院手続き中に貧血で倒れ輸血となる。治療しない選択肢もあると言われたが、本人は治療を希望した。

2019年12月:(一人で真っ暗な自宅に戻ったとたん、もの凄い孤独と絶望感に襲われ大声で泣いた。)

2019年12月:19日 1次治療開始(ゼローダ+オキサリプラチン+ハーセプチン)

2019年12月:(最初は、シスプラチンの予定でしたが、弱っている片方の腎臓も温存した方が良いという事で、オキサリプラチンへ変更しました。)

2019年12月:(入院中は食事もあまり食べれず、貧血も進むが、投薬は継続。激しい腹痛に苦しむ日が続いた。)

2019年12月:(退院が難しい可能性があったので、親族や友人との面会を終わらせておくことにした。みんなの応援を力に本人も気持ちを切らさずに頑張れた。)

2019年12月:26日 正月を自宅で過ごす為に輸血(2パック)主治医からは最後の正月になると伝えらえる。

2019年12月:28日 退院、帰宅中に回転ずしでマグロ赤身などを食べてみると結構食べれた。

2020年01月:年末~正月:食べたいもの、食べれるものを探しながら、体力回復に努めた結果、通院治療が可能なまで体調が良くなる。

2020年01月:(休薬期間中に足のむくみが進行)

2020年01月:8日 2クール目開始(通院)主治医も予想以上の状態改善に驚いていた。

2020年01月:(利尿剤にて足のむくみは解消)

2020年01月:29日 3クール目開始(通院)血液検査の結果も特に悪くなく副作用も許容範囲と判断

2020年01月:(振り返るに、入院中との違いは、食べる、体を動かす、排便する事の自由度が高い点なのかもしれない。それによる気分的な違いは大きいのだろうなと感じる。)

2020年02月:12日 胃カメラ、造影剤CT

2020年02月:・胃カメラ結果:胃壁は綺麗で出血も無し。腫瘍も小さくなっているように見える。

2020年02月:・CT結果:腫瘍の退縮が見られる。腹水は少しある。心臓付近に水?肺にも極小さな影?気にするレベルでは無いが要経過観察。

2020年02月:・血液検査結果:いくつかあるH/Lは許容範囲。好中球数がギリギリか。肝臓、腎臓は、まだ大丈夫。

2020年02月:19日 4クール目開始(オキサリプラチン副作用の痺れは危険ゾーンに入りつつある状況)

2020年03月:10日 尿管カテーテル交換

2020年03月:11日 5クール目開始(貧血だがギリギリ続行可。腫瘍マーカー問題無し。)

2020年03月:31日 5クール目休薬期間中に原因不明の発熱(39度以上)様子を見て休薬延長

2020年04月:6日 好中球減少により休薬延長、癌進行の疑い?

2020年04月:7日 胃カメラ、造影剤CT

2020年04月:13日 検査結果説明、好中球数が改善したので6クール目開始

2020年04月:・胃カメラ結果:胃壁は綺麗だが、胃の出口が狭くなっている。(腫瘍退縮の影響との事)

2020年04月:・CT結果:腹水、胸水は少し溜まっている状態。(貧血により心臓の負担大)

2020年04月:・腎機能は悪くなっていないので、利尿剤を更に追加しむくみ改善を試す。

2020年04月:17日 利尿剤の効果で、むくみが改善し体重も2~3キロ減った。

2020年05月:13日 ヘモグロ値がギリギリだが7クール目開始(オキサリ減量)

2020年05月:・利尿剤だけではむくみ解消せず。でも、かなりマシ。

2020年05月:・肝臓、腎臓系の数値も悪化傾向で、投薬もだんだん難しくなっている。

2020年05月:・痛み止めの薬を減らしたりと試行錯誤を始める。

2020年05月:19日 14日以降、体調が悪化し続ける為、入院して様子見となる。

2020年05月:・発熱無く、血液検査、CTの結果も特に悪くない。

2020年05月:23日 栄養剤の点滴を続けた結果、体調回復し退院となる。

2020年06月:3日 血液検査では治療継続可、心臓エコーも問題無し。オキサリプラチンは中止決定。ハーセプチンとゼローダのみで8クール目を開始する。

2020年06月:9日 尿管カテーテル交換

2020年06月:・帰宅後に体調不良、発熱(39度)となる。解熱剤等で翌々日に改善した。

2020年06月:18日 胃カメラ、造影剤CT

2020年07月:15日 体調良好、貧血も改善、痺れは改善せず。オキサリ抜きで10クール目へ。

2020年08月:5日 痺れ以外は体調良好。鉄剤無しでヘモ値11台。好中球数も問題無し。11クール目に入る。

2020年08月:18日 胃カメラ、造影剤CT

2020年08月:26日 検査結果からは現状維持している。ヘモ値11台、好中球数3500台。12クール目へ。

2020年08月:27日~脇腹痛、30日には医療用麻薬無しでは過ごせず。

2020年08月:31日 緊急検査(採血、採尿、レントゲン、エコー、CT)両腎カテーテルとなる。

2020年09月:16日 先月末のカテーテル留置以降、血尿止まらず。ヘモ値は11台で貧血にはなって無い。状況が悪化しているので2次治療へ切り替えるべきだが、痺れの副作用が限界であり、出血が止まっていない事から使える薬が無い。オプジーボを提案されるが、もう少し現状治療薬で様子を見ることにした。来月のPET-CT、胃カメラ、造影剤CTの結果で治療薬切り替えを判断する予定。

2020年10月:1日 PET-CT(結果は、新たな転移は見つからず。)

2020年10月:6~9日 東京ディズニーランド旅行(に行けるまでに体調が良くなりました!)

2020年10月:12日 心機能に懸念あり。今後、検査していく。血尿は改善傾向。血液検査結果も許容範囲内のまま。引き続き14クールへ。

2020年10月:19日 胃カメラ、造影剤CT

2020年11月:2日 CT結果は腹水が少し増えていた。胃は少しだけ出血あるが貧血も好中球数もOK。もうしばらく1次治療を継続し15クール目へ。

2020年11月:25日 血液検査は問題無し(許容範囲)、体調の悪化も自覚症状無し、来月の定期検査までは現行治療を継続し16クール目へ。

2020年12月:14日 胃カメラ、造影剤CT 15日 尿管カテーテル交換(両腎)

2020年12月:16日 心臓エコーにて機能低下傾向の指摘

2020年12月:・蛋白尿あり、好中球は大幅増、ヘモ値11台、腹水は問題無し、胃カメラも変化なし、リンパ等も問題なし。

2020年12月:・ハーセプチンも辞め時になったので、1次治療終了は確定。2次治療をしばらく延期し、抗がん剤無しで様子見してみることにした。

2021年01月:入院して2次治療開始(12日~21日)副作用も軽くて済んでいる。

2021年01月:13日 サイラムザとパクリタキセルの点滴、数日後に2日ほど発熱

2021年01月:20日 パクリタキセルの点滴、数日後に2日ほど発熱

2021年01月:27日 サイラムザとパクリタキセルの点滴、脱毛が始まる。

2021年02月:8日 サイラムザとパクリタキセルの点滴、発熱はカロナールでしのぐようにとのこと。

2021年02月:・蛋白尿は解消し、好中球もキープ。発熱予防としてカロナール服用すると効いている感じ。

2021年02月:15日 心臓エコー、胃カメラ、造影剤CT

2021年02月:22日 腎臓エコー(CTにて左側に影があったので)白血球、好中球数ともに低下でパクリタキセルはスキップ

2021年02月:24日 腎臓の影は様子見(今のところ気にしなくても良いレベルらしい)

2021年03月:8日 サイラムザとパクリタキセル(減薬)の点滴、今回も発熱はカロナールでしのぐようにとのこと。

2021年03月:13日 パクリタキセルを減薬したおかげか、ようやく発熱無しで1週間を乗り切れた。

2021年03月:15日 パクリタキセル(減薬)の点滴。数日後、やっぱり発熱はするし、痺れの副作用も出てきた。

2021年03月:21日 白血球、好中球数が足りず、蛋白尿もギリギリの状態で、サイラムザのみの点滴となる。

2021年04月:5日 サイラムザとパクリタキセル(減薬)の点滴、今回も発熱はカロナールでしのぐようにとのこと。

2021年04月:12日 パクリタキセル(減薬)の点滴 13日 胃カメラ、造影剤CT

2021年04月:19日 白血球、好中球数が足りず、蛋白尿もギリギリの状態で、サイラムザのみの点滴となる。(先月と同じ状態)

2021年04月:・先週の胃カメラ、CTの結果は、特に悪化は見られない。(良くなっているとも言われない。)

2021年04月:20日 尿管カテーテル交換(左右)

2021年05月:10日 サイラムザとパクリタキセル(減薬)の点滴(3週間ぶり)

2021年05月:・ここまでの感触では、パクリタキセルのみ点滴した方が副作用(発熱)がひどい感じ。サイラムザとパクリタキセルを点滴した週は、比較的軽い副作用で済むようである。

2021年05月:・点滴数日後の発熱は少しマシだった。しかし10日後に高熱が出たが、半日で回復した。(原因不明)

2021年05月:24日 骨髄抑制があまり回復していなかったが、体調は悪くないのでサイラムザとパクリタキセル(減薬)を点滴した。

2021年06月:7日 約2週間発熱が続き体力も落ちた。原因が特定できず点滴は危険と判断し休薬となる。

2021年06月:9日 休薬しても発熱は止まらず、腎臓の痛みも強くなってきた。PCR検査は陰性、腹部エコーで腎臓の腫れが確認できた為、緊急で尿管カテーテル(片側)を交換した。

2021年06月:11日 胃カメラ、造影剤CT。発熱と痛みは改善方向へ。腫瘍の縮退による胃の閉塞が進行しており手術の必要が出てきた。

2021年06月:14日 治療効果が落ちてきて胃の腫瘍により閉塞が進んできた。バイパス手術を急ぐ必要あり。

2021年06月:17日 入院し胃の内容物を取り出していき、週明けに手術。

2021年06月:21日 胃と小腸のバイパス手術。執刀医からは腹膜播種は、ひどくは無かったと報告あり。

2021年07月:3日 退院(特に食事制限も指示されず。貧血気味ではある。)

2021年07月:7日 血液検査では栄養状態、貧血など改善が見られる。腎臓も回復している。来週からエンハーツによる治療を開始することに。

2021年07月:14日 入院(エンハーツ治療の開始)食事面は改善し体力も回復中。しかし肝臓に転移している可能性が濃厚となった。

2021年07月:20日 発熱と腰の痛みが再発。尿管カテーテルを再度交換(左右)

2021年07月:23日 退院(今までで一番痩せてる感じ。病院食を受け付けなくなったので自宅で食べたいものを食べたいと本人が希望)

2021年08月:4日 エンハーツ2回目(減薬無し)右側腎臓は痛くなったり回復したりの状況。発熱は無くなった。炎症反応も無し。

2021年08月:25日 エンハーツ3回目(副作用が続いたので20%減薬)肝臓の影が消えたので効いていると思われる。

2021年09月:15日 ようやく副作用が軽くなった印象(20%減薬しても3週間近くかかる)

2021年09月:22日 ワクチン(ファイザー)1回目

2021年09月:29日 エンハーツ4回目(ヘモ値7台だったので更に減薬)

2021年10月:4日 発熱と腎臓痛により入院、左腎盂腎炎と診断 5日 尿管カテーテル交換(徐々に症状は改善したが、しばらく入院が必要)

2021年10月:11日 胃カメラでは、特に変化無しとの事で、12日 退院

2021年10月:20日 エンハーツは中止(腹水が増えている現実と体力的に危険)オプジーボへ切り替える前提で3週間ほど休薬することに。

2021年11月:10日 オプジーボ1回目(腹水が減っていない状態なので効く可能性は低いとのこと。)

2021年11月:24日 オプジーボ延期(肝臓の悪化が疑われたのでエコー検査したが異常見つからず。胆管が詰まってきた可能性あり)

2021年11月:30日 尿管カテーテル交換(左右)

2021年12月:1日 血液検査の結果、肝臓は改善しておらず胆管狭窄の疑い濃厚。週明けに入院し手術となる。

2021年12月:6日 高熱も出るようになり、体調は悪化へ。CTで十二指腸が詰まっている事がわかり、まずは十二指腸にステントを留置した。これで状態が良くなれば退院へ。

2021年12月:10日 退院(翌週、状態が良ければオプジーボ再開も可能との事)

2021年12月:11日 下痢と腹痛 12日 食事も摂れなくなる。

2021年12月:13日 診察とCT検査で腸閉塞(胃の下部付近の大腸)で危険な状態。緊急手術するしか道は無く、問答無用でストーマ(人工肛門)造設となる。

2021年12月:14日 ひとまず腹痛からは解放され、経口補水くらいはできるようになった。

2021年12月:16日 懸念されていた合併症等も出ず、食事も可能となった。

2021年12月:20日 左尿管カテーテル交換 27日 腹水3.5L抜く 28日 退院

2022年01月:4日 (3日から39度の発熱)血液検査で炎症と肝臓系の悪化が見られるが、自宅で様子見となる。

2022年01月:12日 結局、胆管狭窄が進み肝臓が悪化。発熱無くてもぐったりしている。

2022年01月:13日 再度、ダメ元で胆管ステント留置にトライしたが無理だった。緩和ケアしか出来ない状態となる。

2022年01月:19日 黄疸が進んでいるが、自宅で過ごせるチャンスは今しか無いだろうと判断され退院することにした。

2022年01月:19日 自宅近くの訪問医を、がんセンターが探してくれて、さっそく訪問してもらい、病状把握してもらう。

2022年01月:19日 介護保険申請 21日 介護ベッド搬入 24日 自宅で腹腔穿刺3L

2022年01月:27日 訪問医より、ステロイド内服薬、医療用麻薬を処方される事になった。

2022年02月:8日 腹腔穿刺1.5L 14日 2L(1/24からの3週間で3.5L抜いた事になる)21日 2.2L(1週間で2L以上溜まった)28日 2.5L(低粘性へ変化)

2022年03月:なんとか3月を迎えられた。呼吸も浅く少なくなっている。黄疸末期のかゆみ、脳への影響が出ている。

2022年03月:4日 28回目の結婚記念日を迎える。看護師さんが作ってくれたお祝いカードに微笑んでいた。

2022年03月:7日 肝性脳症の進行で意識は戻らず、羽ばたき続ける。錠剤は終了し、オプソのみ処方される。

2022年03月:9日 血圧がH46/L30に低下。お腹を押すと便が簡単に出る。もう何も感じない状態らしい。

2022年03月:9日 23:15 自宅にて永眠

【関連のエピソード】
告知の際、余命と延命の目標があまりにも短く、横で声を押し殺して泣く妻の姿と、その診察室の情景が脳裏に焼き付いて消えません。 妻は入院当日から何度も意識が無くなり、輸血しても日に日に弱っていくので、このまま治療もできず、退院できないまま終わってしまうと思いました。 本人が治療する選択をしましたのでトイレへ行く回数が多くなるシスプラチンをやめて、オキサリプラチンで治療を始めました。(H-XELOX療法) 年末に最後の正月になると言われ、自宅で過ごす為に大量輸血してから退院しましたが、そこから景色が変わってきました。 妻は自宅で過ごすようになると、ウソのように元気が出てきて家事も出来るようになり、食欲も出てきて筋力アップの運動までするようになりました。 そして、2クール目からは、通院で化学療法を受けられるようになりました。 入院が如何に人を弱らせるものなのかと思いました。 そして、告知から10ヶ月あまり経ちました。 妻は、セドナへ家族旅行に行けるくらいにまで回復したのですが、まだ渡航できる世界情勢ではありません。 それでも、娘の介助は必要でしたが、毎年恒例の東京ディズニーランドへ3泊4日で行けたのは、まさに神様からのプレゼントだったと思います。 来春から、一人娘も東京の会社に勤めます。その前に、家族でもう一度、正月が過ごせそうです。 告知から2年が経ちました。 セカンドライン以降は治療を見送る期間も長くなり癌の進行が抑えられなくなってきました。 腎盂腎炎の頻発、胃と腸のバイパス手術、十二指腸のステント留置、腸閉塞でストーマ造設など手術と入退院を繰り返す状態になり、副作用も重なり別人のようにやせ細ってしまいました。 正月前に退院できるのかどうか...そんな状況になりましたが、ギリギリ退院でき家族揃ってのお正月を過ごすことができました。 その後は、がんセンターでの積極的治療は断念する事となり、自宅での訪問医療を利用した在宅緩和ケアを行うことにしました。 退院してからの在宅介護生活は、夫ひとりでは無理だなと思うくらい大変なものでしたが、娘が正月以降もずっと居てくれたお陰で、家族三人で寄り添い、当たり前の幸せを噛みしめる貴重な期間になりました。 妻は、寝たきり状態になってきた時に、「いつ入院したらいい?」って訪問看護師さんに聞きました。看護師さんは、「本当はどうしたいの?」って聞いてくれて、「家がいい」と答えた妻に、「ほんなら最後まで家に居ましょ。私がご家族さんが困らないように毎日世話してあげるから。」って言ってくれた時の妻の安堵と涙が忘れられません。 ある日、ケアを終えて帰ろうとする看護師さんの手を握って離さず「ありがとう」と何度も言う事がありました。明日も来てくれると言うのに。でも、翌日から妻の意識は途切れるようになっていきました。何かを悟った瞬間だったんだと思います。 意識が途切れるようになってからも見舞いに来てくれた人達には、最後の力を振り絞って手を差し出して、ありがとうを言おうとしていました。 告知から2年4か月が経ち、3月4日に28回目の結婚記念日を迎えた後、3月9日に血圧が急低下。そうか、この日を選んだんだな。と思いました。そして23時を過ぎた頃、少し拍子抜けするくらいあっさりと永眠しました。 「サンキュー」を伝え続けたい。それが彼女の人生だったんだと思います。


治療を受けた病院

兵庫県立がんセンター

【関連のエピソード】
紹介状を持っていった初診日に尿管カテーテル留置まで完了してしまうというスピード感にびっくりした。 医師同士で直接連絡を取り合って緊急で予約を取ってくれたりと、大きな病院なのに機動力があると思った。 一般の病院と違い、がん患者しか居ない病院は、患者本人にとってはストレスが少ない面があると思う。 入院初日に主治医の目前で意識が無くなるなど、相当ひどい状態からスタートした為か、とても気にかけてくれていて、遠方からの通院でもあり検査スケジュールなど最大限に気を遣ってくれている。 告知、治療開始から25か月で、治療不能となり在宅緩和ケアで過ごすことにしました。 がんセンターが探してくれた訪問医、看護師は、とても素晴らしい人達で、幸せな気持ちでいっぱいです。


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